一方で、制止を受け入れる人もいた。50代の女性は怖さのあまり、ぶるぶると震えながら車から出てきた。その後、大森氏らが避難所で女性と再会したとき、「あのとき、止めてくれた人ですね」と言い、涙を流して感謝したという。

 両石湾周辺に住む人たちは、数十人が亡くなった。大森氏は言葉少なめに話す。「父親もその1人になった。水門に行く前に、高台へ避難するようには伝えておいたのだけど・・・・・・」

 この湾は、かねてから「V字港形の典型」とも言われてきた。V字港形は、押し寄せる津波の威力を大きくし、周辺に大きな被害を与えることで知られる。過去にもこの地域は津波に襲われ、被害を被っていた。

 大森氏がその日、高台から見下ろすと、自宅は流されていた。避難した町民らと2晩、野宿をした。2日後に家族らと再会。今は会社が借りたアパートに住み、港湾荷役の仕事をする。

「3月11日を振り返ると、みんなでよくあんなことができたと思う。ほかの分団では、犠牲になった団員まで現れた。いまはうちの分団は団員が離れ離れになっていて、活動ができない。今後のことは話し合ってはいるけれど……」

「犠牲になった団員もいる」
253人もの犠牲を出した社会構造の矛盾

宮古市の下摂待防潮堤。震災発生前(写真上)と後(写真下)を比べると、津波によって跡形もなく破壊されていることがわかる。ここでも消防団員が犠牲になった。(写真提供/上:宮古市消防団第32分団。下:NPO法人環境防災総合政策研究機構)

 釜石市の両石消防団が直面した問題は、他の地域でも生じていた。岩手県の陸前高田市や大槌町の消防団員らも、防潮堤の門を閉める最中や、住民の避難誘導の間に津波に巻き込まれ、亡くなったり、行方不明となった。

 私は、消防団員らの置かれている実態を知りたかった。そこで、前回の記事で紹介したNPO法人環境防災総合政策研究機構の松尾一郎・理事を訪ねた。

 松尾氏がヒアリングをした宮古市田老地区でも、9人の消防団員が亡くなったという。その内訳は、次のようなものだった。

・防潮堤や水門のゲート操作中や、完了後の移動中…5人

・海岸部の避難誘導中…3人

・仕事場から消防活動へ移動中…1人