多様性が尊重されるべき表現の現場にも多数派選びが浸透
問題は私たちがそれに気づいていないことではないか
イラスト系のSNSに「pixiv(ピクシブ)」というコミュニティがあります。
日記を書く代わりに、自分の描いたイラストを投稿してコミュニティの参加者たちと交流する場です。参加者はイラストを描くことや見るのが好きな人たちです。
ピクシブの特徴は、投稿したイラストのランキングが出る点です。これはコミュニティの参加者同士が選ぶもので、望むと望まざるにかかわらず、このコミュニティに参加するだけでランキングに巻き込まれます。参加すれば、どうしてもランキングを上げたくなるものです。
そして自分の好きなイラストを描いてそれを好きな人に見てもらうだけの場が、やがて「勝ち負け」の世界に変わってしまい、いつの間にかランキングを上げるため、多数派のためのイラストを描くように変わっていくこともあるようです。
イラストなどは本来、最も多様性がある世界だと思います。それなのに、画一化した一本の物差しだけで勝ち負けを競っているように見えてしまいます。
冒頭でも申し上げた通り、択一思考は自分の意思で選択しているつもりでも、実はそうではない可能性を否定できません。
投票行動、ファッション、本、医療の世界。そして、自分を表現することまでもが多数派におもねるようになってしまいかねません。
やっかいなのは、無意識のうちに「選ばされている」「読まされている」「描かされている」ということです。自分では気づいていないところで、このような物差しで行動してしまうことが多々あるのです。