読書の趣味や適切な医療行為は人それぞれ違うはず
それなのにここでも多数派選びが主流になっている
経済学では「美人投票」という用語が使われます。
金融市場での投資家の行動パターンを示すためのたとえ話で、自分が美人だと思う女性ではなく、みんなが美人だと思うと予測される女性に投票するというのです。
つまり自分が値上がりすると思う株を買うのではなく、みんなが値上がりすると思う株を選ぶことが、株式売買の成功パターンとなります。株の世界ではごく当然の合理的な行動原理です。
しかし、株の世界とは無縁な選挙行動やファッションにも、この考え方が援用されてしまっているのが現代ではないでしょうか。
本もベストセラーしか売れないという現象が顕著になってきたようです。
本は特に、人が読んでいる本を読むのは「カッコワルイ」という考えがあったと思うのですが、今や人が読んでいる本を読まないと不安だという心理が強くなりつつあるようです。読書はベストセラーランキングの上位の本から選ぶという人も少なくありません。
その結果、売れた本だからベストセラーになったのですが、こんどはベストセラーだから売れるという逆の現象によってさらに売れるというパターンが起こっています。
この結果、非常に売れる本とまったく売れない本の二極化が進み、ほどほどに売れる本が少なくなってきたという話を耳にします。
極論すれば、本の世界はそれでもいいかもしれません。しかし、人の命を預かる医療の現場にもその傾向が押し寄せています。
終末期医療では、少し前まで「延命」がトレンドでした。
食べ物を口から食べられなくなった患者の胃に管を通し、その管から直接食べ物を流し込む「胃瘻」の技術は、開発当時は脚光を浴びました。
しかし、何かのきっかけで潮目が変わります。
終末期医療は無駄だと考えられるようになると、急に胃瘻は「悪」となり、医師が患者に勧めても忌避されてしまいます。
医療の世界では、どんな治療法が適正かどうかは患者によって異なります。
にもかかわらず、患者や患者の家族は世間の評価が優勢な治療法になだれを打ち、命を扱う医療の世界までが二者択一の多数派選びになってしまったような気がしてなりません。