ソ連も大好きだった
「世界一」のスローガン

 もちろん、労働現場にも粉飾は横行していた。「日本経済新聞」では当時、国際社会のなかで、まことしやかに囁かれた「ソ連の企業カルチャー」を以下のように紹介した。

「年度計画の鉱工業生産伸び率目標が7.3%だったのに、実績が7.0%に終わった1969年ごろから、特に企業レベルで裏帳簿めいたものが目立ってきたという説もある」(日本経済新聞1982年8月30日)

 ここまで話せばもうおわかりだろう。69年といえば、神戸製鋼がソ連と急速に「技術交流」をおこなっていた時期である。当たり前の話だが、「技術交流」というものは紙切れみたいなものを渡されて「はい、完了」というものではない。異なる考え方の技術者が同じものを生み出そうと意見を交わし、互いの「知見」を学び合うものなのだ。

 神戸製鋼の「現場」がソ連の技術者との交流を重ねていくうち、彼らの「計画経済」の行き詰まりのなかで芽生えた「粉飾文化」まで吸収してしまった恐れはないか。

 神戸製鋼の経営陣が30年以上、「世界一の技術」というスローガンを叫んでいたということは先週の記事でも詳しく述べたが、実はソ連も計画経済の調子がいいときは、よく「世界一の科学技術」というスローガンを掲げていたのである。

 つまり、「世界一の技術」という「計画経済」を掲げた神戸製鋼が、その目標の未達が恒常化することで危機感を覚えて「技術の粉飾」に走るというのは、実につじつまの合う話なのだ。

 理屈ではそうかもしれないが、現場の人たちにだって罪悪感とかあるだろ、という意見もあろうが、「計画経済」のもうひとつの問題は、「ものづくり」だけに限らず、企業人としてのモラル崩壊も引き起こすことにある。