最高の人生でなければ最悪の人生に

 確かに、政治や経済など社会的な事象に対して、どちらが良いかという選択は一つの物の見方だとは思います。私個人は過度に選択を迫らないほうがいいと思っていますが、この態度を真っ向から否定するものではありません。

 私が問題にしたいのは、自分自身の内面に対しても「ほどほど」「まあまあ」という評価をすることがとても難しくなっていることです。

 世の中には、最高でも最悪でもない人生で成り立っていると思います。客観的に見ればよくいる人生、60点の人生、つまり「普通の人生」の範疇に入る人たちです。

 しかし、その人自身はそんな中間の状態に自分がいることを認められません。

「この不透明な時代、我ながらまあまあよくやっているほうだよね」
「確かに問題もないわけじゃないけど、自分としてはまあこんなものだよね」

 自分に対して、こうした曖昧な評価をすることに抵抗があるというのです。

 これは非常に危険なことです。

「最高だ!」と考えたと思えば「最悪だ」と変わる。テンションが高くなったと思ったら、異常に低くなる。極端な感情を行き来しているうち、感情をコントロールすることができなくなってしまう人が増えています。

 その人たちが目指すのは「ほどほどの人生」ではなく「最高の人生」です。

 そして、最高の人生から何か一つでも欠けてしまうと、中間をすべて飛ばして一気に最悪の人生ということになってしまうのです。

 ひとたび最悪の人生と考えてしまうと「生きている意味がない」「死んだほうがましだ」という極論にまで飛躍してしまいます。