人間の日常は択一思考で語れるものではない

 楽しむことが悪いと言っているのではありません。

 しかし、こんな言葉があるのかどうかわかりませんが、楽しまない自由もあると思うのです。現在は、楽しまなければ成長しない、楽しまなければ負けにつながるという風潮が氾濫しているように思います。

 楽しむ自由、楽しまない自由。

 これはあくまでも「違い」です。冒頭にお話しした大阪の問題も、橋下さんと橋下さんと対立しているグループの間には「違い」があるにすぎません。これを勝敗という両極でしかとらえようとしない価値観が問題なのです。

 正義対悪、勤勉と怠惰。

 択一思考は人を夢中にさせ、熱狂させます。こんどはどちらが勝つかを予想し、どちらに賭けるかを決めるのがきっと楽しいのだと思います。確かに、中途半端で曖昧なことを言うより、リスキーなことを言ったほうが場は盛り上がります。

 しかし、これは非常に危険な態度でもあることを忘れてはいけません。

 人間の日常の営みには、本来両極で語れるようなものはありません。

 にもかかわらず、勝敗という択一思考があらゆることに入り込んでいます。私はそれが不自然なことだと思えてなりません。

 その結果、多くの人は双方の考え方を受け入れ、双方の良いことと悪いことを引き受けながら自分の考えを構築することができなくなってしまったのではないでしょうか。