相手に「敬意」を伝えるのが、すべての出発点

 このことに、はじめて気づかされたのは、入社2年目のときに赴任したタイ工場でのこと。私がタイ人従業員たちに、強い口調で在庫管理の適正化を求めたことに対して、強烈な反発をくらったのです。在庫管理の適正化どころか、職場が機能不全に陥りかけたのです。

 結局のところ、あのトラブルを引き起こした原因は、私が彼らの自尊心を傷つけたことにあります。彼らは、工場立ち上げの戦場のように忙しいなか、精いっぱいの努力をしていたのです。しかも、彼らのなかには在庫管理の経験をした者はいなかった。勝手のわからないなか、なんとかうまくやろうと必死だったのです。

 にもかかわらず、私のような肩書も実績もない若造が突然現れて、頭ごなしに彼らを否定してしまった。これが、彼らの自尊心を傷つけるのは当然。「なんだ、この生意気な若造は」と怒らないほうがおかしいのです。そして、彼らはあからさまなサボタージュに打って出て、私を窮地に追い込んだわけです。

 しかし、実は、私に肩書も実績もなかったのがよかったのかもしれません。
 なぜなら、もしこのときに私に肩書や実績があれば、彼らは敵意を抑圧したかもしれない。そして、イヤイヤながらも私の指示に従って在庫管理を適正化して、私があのような問題に直面することがなかったかもしれないからです。

 もし、そうならば、私は自尊心を傷つけることの恐ろしさに気づくのが、もっと遅かったかもしれません。いや、いまだに気づいていなかったかもしれません。その意味では、肩書も実績もないペーペーの時代に、リーダーシップを発揮しなければならない局面に立たされてカベにぶつかるのは、「つらい経験」ではありますが、「よい経験」なのかもしれません。リーダーシップの本質を、オブラートに包むことなく教えてもらえるからです。

 ともあれ、あのとき私は態度を180度転換。
 彼らにそっぽを向かれてしまった理由を真摯に反省したうえで、彼ら一人ひとりに率直に謝罪するとともに、丁寧なコミュニケーションを図るように努めました。最大の注意を払ったのは、彼らに「私はあなたという存在を尊重します」という意思を伝えること。それが、すべての出発点だと考えたのです。

 それ以降、私は、誰かの自尊心を傷つけることのないように細心の注意を払ってきました。自尊心を傷つけてしまったときには、必ず「敵意」が生まれる。その「敵意」が組織を台無しにしてしまうことを、身をもって学んだからです。