今から30年近く前、関西の大学生を中心に運営され、数々の事業を展開したリョーマという会社がありました。リョーマは創業後5年で経営破綻に陥りましたが、同社からは、現KLab代表取締役社長の真田哲弥氏、現GMOインターネット取締役副社長の西山裕之氏、現Indeed Japan代表取締役社長の高橋信太郎氏、NIKKO創業者の加藤順彦氏など、数多くの起業家が輩出されています。
今回は杉山さんに、ご自身の原点でもあるリョーマでの体験について伺いました。聞き手は、株式公開後も精力的に発展を目指す“ポストIPO・スタートアップ”を応援するシニフィアン共同代表の、朝倉祐介さん、村上誠典さん、小林賢治さんです。(ライター:石村研二)

リョーマ出身者の成功が周りの仲間を感化した

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):杉山さんの経営者としてのキャリアの原点は、おそらく学生時代に関わられていたリョーマにあるのではないかと思います。そうそうたる起業家の方々を輩出していて、僕からすると幕末の松下村塾みたいな存在に感じられるのですが、リョーマでのご経験は杉山さんにどのように影響しているのでしょうか?

経営を譲るタイミングは「自分がいなくても回るな」と思ったとき<br />【杉山全功さんに聞く Vol.4】<br />杉山全功(すぎやま まさのり)大学時代に学生ベンチャー、株式会社リョーマに参画したことが経営者へのきっかけとなる。2004年に代表取締役に就任した株式会社ザッパラスは就任2年目で東証マザーズに上場し、2010年には東証一部上場へと導く。同社退任後、2011年に株式会社enishの代表取締役に就任。就任後2年半で自身二度目となる東証一部への上場を果たす。株式会社enish退任後は、株式会社日活、地盤ネットHD株式会社等の社外取締役を務めるかたわら、最近はエンジェルとして若手経営者の育成にも力を入れている。

杉山全功氏(以下、杉山):なんでしょうね。5年とか10年とか長い期間一緒にいたわけではないし、ビジネスのノウハウやテクニックを吸収し合ったというのも、実は意外と少なかったんですね(笑)。

 でも、同じ時代・時間を共有した仲間なので、リョーマ出身者の誰かが後になって成功したり失敗したりする中で、どこかお互い切磋琢磨しあっているというのはあります。この間、陸上の100メートル走で桐生祥秀選手が日本人として初めて10秒を切りましたけど、こうなったら次々と10秒を切る人が出てくるんじゃないかっていう予感がするじゃないですか。誰か一人が堰を切ったら、周りも感化されて一気に行く、みたいなね。仲間とのつながりの中で誰かがうまくいったら俺も頑張らなきゃ、といった引っ張り合いはある気がしますね。

村上誠典(シニフィアン共同代表):たしかに、近くで誰かが堰を切ると、自分もできそうな気がしますね。

杉山:そうですね。たとえば上場にしても、周りにやったことある人がいなければ、まったく違う世界の話のように聞こえてしまうと思うんです。でも、学生の時の仲間が上場したっていう話を聞くことが何度もあると、それが特別に感じられなくなるというか、それをやることに違和感がなくなる、というのはあるかもしれないですね。

朝倉:シリコンバレーと日本の違いも、そこにあるように思うんですよ。僕は去年までスタンフォード大学で客員研究員をしていましたが、学校にいると、スタートアップをやっている学生や教員、先輩が周りにたくさんいるので、起業することが何か特別なことだとも感じられないし、抵抗もなくなる。そういう場の中にいるかどうか、が大きい気がするんです。僕は杉山さんも登場されている『ネット起業!あのバカにやらせてみよう』という本を学生時代に読んで非常に感銘を受けたんですが、日本のネット業界の礎を築いた方々が総出演しているじゃないですか。「俺たちならできるだろ」といった熱気や雰囲気が伝わってくるんですね。

杉山:たしかに、そういう空気感はあったし、今思えばそれが大事だったのかもしれないですね。当時はそんなに意識してなかったですけど。当時は、ドロップアウト組というか、大きな組織に適合しない人たちが集まっていて、それでそういう空気感が醸成されていたんでしょうね。それに資金調達能力もないしITもなかったので、やれることってだいたい代理店業だったんですよ。その中でリスクをとって商売をして、運のいい人間が大きな仕事を掴んで大きくなっていくような感じでした。

 でも今は、ITを使えば設備投資もあまりいらないし、資金もあまり必要ない。しかも、メーカーになることができますよね。価格決定権を握って、利幅の大きいビジネスをすることもできる。そうやってビジネス構造自体が変わってきてるから、起業自体がやりやすくなってますよね。