若いうちは「時間は無限にある」と思いがち

 この原稿を執筆している今日現在で私は75歳になります。(後期高齢者という忌まわしい言葉が頭に浮かびます!)。それなりに時間を有効活用し、あまり悔いのない人生を送ってきたという自負がありますが、「時間が足りないと思いますか?」と問われれば、間違いなく「イエス!」と即答するでしょう。

「時間をむだづかいするな」「明日死んでも悔いが残らないように今日を精一杯生きろ」などと言う人が多いのですが、人様より比較的上手に時間を使ってきたという自負がある私でも、正直に告白すれば20代や30代のころは時間なんて無尽蔵にあると思っていたし、いつかは自分も死ぬのだということを、漠然と頭ではわかっていても“我が事”として実感したことは1度もありませんでした。

 それがようやくわずかながら我が事として考えるようになったのは40代初め。50代にさしかかってはじめて、“今”という時間、“今日”という1日をどう使うべきかを意識しながら生きるようになりました。

 還暦を過ぎたあたりから旧友が1人また1人と銀河鉄道に乗ってこの世から旅立っていくのを目の当たりにして、ようやく「ああ、いずれ自分にも死ぬ瞬間が確実にやってくるのだな」と実感するようになりました。

 われながら情けないことに、数えきれないほどの先達が口をすっぱくして言っていた「自分の人生の残り時間は意外に少ない」という言葉の意味を、いまになってしみじみとかみしめているところです。

 この記事を読んでいるあなたは、いま何歳でしょうか。おそらく20代か30代か、もしかしたら40代以上かもしれません。人生の残り時間に余裕があると、多少の時間のむだづかいも気にならないものです。

 そんなあなたに、まず言っておきたいことがあります。あなたの人生の持ち時間は、いずれ潰えるときが来ます。あなたがこの世にサヨナラを言うとき、その「いずれ」は思ったよりも早かったと感じるかもしれない。「いずれ」は「もうか!」と感じられるかもしれないのです。

 さて、各論に話を移しましょう。あなたの人生の残り時間はあと何時間くらいあるでしょうか。先ほどと同じ要領で計算してみてください。「自分に残された時間があとどのくらいあるのか」を頭の片隅にインプットしておくと、時間を大切に使おうという気持ちがだんだんと湧いてくるものです。「失った金(カネ)はとり戻せても、失った時間はとり戻せない」。この際、時間の不可逆性を胸に刻みましょう。

   あなたの人生の残り時間=(平均寿命 − あなたの現在の年齢)×365×(24 − 睡眠時間)