ステップ3:問題の「性質」を判断する――「自分でコントロールできること」か「できないこと」か?

「カルマ」と「ダルマ」は、古代インドのサンスクリット語に由来する仏教用語だ。サンスクリット語は、ラテン語と同じく現在では書き言葉のみで使われ、話せる人はごくわずかしかいない。古代ヒンドゥー教の経典はサンスクリット語で書かれていた。釈迦はインド北部で生まれ、西暦紀元前4世紀頃に仏教をつくったため、多くの仏典はサンスクリット語で書かれている。

「カルマ」は、現代では神秘的な因果応報を意味する言葉になっている。すなわち、悪いことをすれば将来悪いことが起こり(悪いカルマ)、良いことをすれば将来良いことが起こる(良いカルマ)というものだ。これは、ヒンドゥー教のオリジナルの定義に近い。

 しかし、ここでは私たちはカルマを仏教的な意味で用いることにする。仏教ではカルマは「自分ではコントロールできないこと」を意味する。同じく仏教では、ダルマは「自分でコントロールできること」を意味する。

「フリー・ユア・マインド」のカギは、カルマ(自分ではコントロールできないこと)に直面したときに、とるべきダルマ(自分でコントロールできること)は何かについて考えることだ。

 重要なのは「過去の苦しみ」や「未来への不安」に対してどんな行動がとれるかを理解することだ。問題全体としてはとれるべき行動がない場合には、問題を分割して、部分的なパーツに対してのみの対処行動を考えることもあり得る。

 このステップは簡単ではないが、問題への対処策を考えることで、ネガティブな感情を減らしやすくなる。部分的にでも問題を解決しようとすることで、ネガティブな思考にとらわれていた頭を前向きに切り替えられるのだ。心配することではなく、思考することに意識が向くようになる。それによって、脳内のコルチゾールが減らせる。それが平常心を生み、思考を向上させることにつながる。

 たとえば、あなたが仕事を嫌いな理由が、上司から怒鳴られることだとする。現在、週に一度は怒鳴られていて、そのたびに最悪の気分になる。ここで、「カルマ/ダルマ」について考える。この問題について何かできることはないだろうか?

 熟考したところ、上司が怒鳴るのはあなたと二人きりのときだけということに気づいた。ということは、つねに周りに他の人がいるような状況にすればよいのかもしれない。もちろん、そのためには上司と二人きりにならないための計画やその実行のための労力が必要になる。手間暇をかけてその計画を実行するだけの価値はあるだろうか?

 ここでは、本当に実行するかどうかはともかく、思いついたダルマ(自分でコントロールできること)をすべて書き出すようにする。

 あるいは、上司は誰に対しても怒鳴っているのかもしれない。上司の上司も同じように部下を怒鳴りつける人間で、不満を口にした人間はすぐに解雇されるのかもしれない。このような状況の場合、あなたはカルマ(自分ではコントロールできないこと)に直面しているといえる。カルマも書き出そう。