会社を食い物にする人々を許すべからず
格段に高くなった「タダ乗り者」への意識
約1年半にわたり、「職場のタダ乗り問題」について述べてきたが、この連載も今回で最後となる。幸いにも、連載中は安定したPV(ページビュー)を得ることができた。定期的に読んでいただいた方々、そして筆者らにメールにて情報や感想をくださった方々に、深く感謝申し上げる。
この連載に伴い、多くの企業人に会い、話を聞いてきたが、拙著『フリーライダー――あなたの隣のただのり社員』を刊行した頃に比べて、「タダ乗り」に対する人々の意識は格段に鋭くなっているという印象を受けている。
それはなにも、会社組織での「タダ乗り者」に対してだけではない。生活保護の不正受給、震災復興を名目にした政治家や企業の利益誘導、労働の質以上の待遇を受ける公務員など、国や自治体での「タダ乗り行為」も多くのメディアで取り上げられており、人々はそれに対して強い憤りを感じているように思える。
しかし、ここで重要なのは憤って「タダ乗り者」を罰したとしても、それで気持ちはすっきりするものの、問題の根本的解決にはならないことだ。
この連載でも述べてきたとおり、フリーライダーに対して人々は生理的な嫌悪を抱き、時として暴力への動機を持つことも多い。そして、フリーライダーに対して実質的な罰を与えたときには、脳の「報酬系」が活性化する。すなわち、快感を得ることも研究でわかっている。
しかし、その快感を得た後に、どうなるか。罰されたフリーライダー自身は、放逐されるか行動を改めるかもしれない。しかし、時間が経てば、第2、第3のフリーライダーがまた出てくるのだ。
フリーライダーに対する懲罰は、医療で言えば「対処療法」に過ぎず、組織の体質からくる「慢性的疾患」としてのフリーライダー問題は、放っておくと必ず再発する。