大正時代から今に至るまで
日本人の根本は変化していない

 マスコミや相撲協会が、目の前で放置されている白鵬が関わる「問題」よりも、貴ノ花親方の立ち居振る舞いを「問題」だと大騒ぎするのは、すべてはこの100年以上前から続く「宗教」のせいなのだ。

 働き方改革を謳っても過労死やパワハラがなくならいのも、多様性が大事だと謳ってもセクハラや差別がなくならないのも、「組織に対する盲目的な忠誠」というものが、宗教のように我々の心に刷り込まれているからではないか。

「従順と奉公」が正義とされる社会では、「上」に逆らうものにはどんな手を使ってでもこの正義を分からせなくてはいけない。では、どう分からせるかというと、罵詈雑言を浴びせたり、白鵬のような説教をしたりして精神的に追いつめて従わせるか、力づくで従わせるしかない。これが日本社会に蔓延するパワハラや「いじめ」の正体だ。

 そんなのはお前の妄想だという声が聞こえてきそうだが、先ほどご紹介した、H.G.ウェルズと議論した2人の日本人も、「従順と奉公」が我々日本人にとって、自分の力だけではなかなか克服できない「病」のようなものだと認めている。彼らは欧米では、自由思想を養い、おかしなことは目上の者であっても批判するという文化があるとして、以下のように述べている。

「恐らく此の方法は結局に於て優れたものであり、力強いものであらう。然し乍ら日本人にはそれが正常なものではない危険なものだと言う風に思われるのである」(同上)

 おかしなことを「おかしい」と指摘して行動を起こした者は「異常」であり、「危険」な存在とされる。大正時代の人々が気づいた日本人の「病」を、平成の世に生きる我々は、まだ克服できていない。