「貴乃花の乱」はなぜ勝ち目がないのか?日馬富士事件を組織力学で読む日馬富士による暴行事件に関して、足もとでは貴乃花親方の責任も問われ始めた。一般的な組織の力学で考えると、その理想と現実との間には小さからぬギャップが見える  Photo:日刊スポーツ/アフロ

なぜ貴乃花親方までもが
槍玉に挙げられ始めたか?

 大相撲の横綱、日馬富士による暴行事件で、鳥取県警は年内に日馬富士を書類送検する方針を固めたようだ。日馬富士も、「拳とリモコンで殴った」などと、被害者である貴ノ岩の怪我の状態とも合致する内容の証言に変えたことで、刑事案件としては傷害罪としての証拠が固まってきているようだ。

 傷害罪で司直の手に委ねられている案件なので、あとは検察がどう処理し、起訴された場合はどういう判断が下るのかを見守ればいい話である。この事件は傷害事件としては「ここで終わり」でいい。ところがまだ、連日ワイドショーを騒がせている。事件と関連して日本相撲協会という組織の問題が取り上げられ、貴ノ岩の師匠である貴乃花親方を「処分すべきだ」という声も出始めたからだ。

「なぜ、貴乃花親方が処分の対象になるのか」と疑問をお持ちの方のために、この件を組織経営論の観点から解説してみたい。ただし今回の事件は、一部情報が錯綜しているため、ここでは「もしこれが、あなたの会社で起きた事件だったらどうなのか」という切り口に置き換えて考えよう。ここからは「架空の会社」の話である。

 ある社員が社内の同僚から暴行を受けて大けがをしたとする。暴行した方は大学の先輩、された方は後輩であり、お互いの間では「事件はなかったことにしよう」と話がついていた。しかし、翌日出社した部下のひどく顔を腫らした様子を見た執行役員が、「それはおかしい。ちゃんと警察に被害届を出しなさい」と指導して、眼窩底骨折の診断書とともに被害届を出させた。

 ところで暴行した先輩社員は、会社にとってキーパーソンだった。普通の会社だと類似例を挙げにくいのだが、たとえばゲーム業界を代表するゲームクリエイターだったとか、人工知能開発の中心人物だったとか、中国政府の要人の娘婿だったとか、会社の業績を左右する特別な存在であったと想定してみよう。

 そして、その会社にとってかけがえのない重要人物が傷害罪で逮捕される(日馬富士の場合は逮捕を免れているが、一般人の場合には逮捕事案になるので、そう想定させていただく)という情報が、警察経由で経営陣の知るところとなる。

 このままでは、会社の業績が大きく下がることになりそうだ。被害届を出させた執行役員は営業本部長だったとしよう。そこで経営陣の中では、「営業成績が下がるようなことをしでかした営業本部長にお灸をすえてやらなければいけない」という話になる。日馬富士の暴行事件を普通の会社で起きた事件に置き換えると、だいたいそういうことになる。