─ それで、95年に世界ランキング4位になりました。トップ4シードになると景色は違うのですか。
 トップ8に入るのも大変ですが、8位から4位というのも大きな違いがありますね。グランドスラムの場合2週間の大会になるので、シナリオとしては1週目は体力温存、2週目に入ってからギアを上げて戦うというのが理想なのです。

 シードが下になればなるほど、ギアを上げるタイミングを早くしないといけないので、そういう意味ではトップ4になると安定した力を出しやすくなります。

─ そのセーブっていうのは、どういう感じなのですか。
 言葉は悪いですが、手を抜いてました。100%を出さなくても相手がミスってくれるとか。必死になって戦わなくても、余力を残して戦うことはできてましたから。

─ 駆け引きみたいなものですか。
 メンタルが大きく左右するスポーツでもあるので、駆け引きもあります。自信というものもあると思うのです。その時は、サーブも100%ではなく、駆け引きにおいても、頭がフル回転していなくても勝てるということです。

─ ファーストキャリアで、一番印象に残っている試合は。
 やっぱりグラフに勝ったフェドカップとウィンブルドンでの準決勝、これもグラフと日没サスペンデッドになった試合ですね。

フェドカップ
1996年4月29日、有明コロシアムにて女子の国別対抗戦フェドカップの1回戦、日本vsドイツのシングルスで伊達さんと世界ランク1位のシュテフィ・グラフが激突。3時間25分フルセットの激闘の末、伊達さんが勝利した。
(写真/時事)

─ 95年のウィンブルドンの準決勝はまだできましたよね。欧州の陰謀かと思いました。当時はアジア人が優勝したりすると、ルールを変えたりしてましたよね。

 いまはテニスに限らず、サッカーにしても、ベースボールにしても、日本人を含め、アジア人が活躍できる時代に変化してると思うんですけども、90年代、もっと言えば80年代では、テニスは欧米のスポーツだという意識がすごく強かったのです。

 だから「どうして公子は大会数も出てないのに、いつもそんな上位にいるんだ」というような声は聞こえていました。当時はスキーでもありましたが、テニスでも大会数を重ねると、どんどんポイントが上がっていくようなシステムに変更されていったというのは事実ですね。それが、直接的にアジアバッシングとは言わないですけども。