強いサッカーチームに
ファンが大勢いる理由

 しかし、「国のために戦う」という点だけ見ると、戦争でも、オリンピックと同じように国家アイデンティティが強くなる。それが行き過ぎると、過激な愛国主義や全体主義につながる可能性がある。国家アイデンティティの強調は、実は非常に危険なのだ。

 したがって、オリンピックは、競技以外のところでは、平和と友好を前面に押し出す催しになる。そうしなければ、ただの殺伐とした戦争代理競技にならざるを得ないからだ。

 この国家アイデンティティが少し厄介なのは、このアイデンティティは変えようと思ってもなかなか変えられないという点だ。

 例えば、社会的アイデンティティ理論によると、贔屓のサッカーチームが落ち目になり、試合に負けると、それは自分自身のアイデンティティも脅かされることになる。なぜなら、そのサッカーチームと自分のアイデンティティを重ね合わせているからだ。

 やがて、自身のアイデンティティが脅かされることに我慢できなくなると、重ね合わせる対象を変える、ということが起こる。つまり、これまでの贔屓チームのファンをやめて、別の強いチームを贔屓しファンになる。そうすることで、自身のアイデンティティが傷つかないようにする。

 もちろんそうではないファンもたくさんいるだろう。ファンになる理由は社会的アイデンティティだけではないからだ。また「真のファン」は、自分のアイデンティティが脅かされるという理由でファンを止めるような人ではないことを、人々は無意識に分かっている。