鈴木修さん Photo:Hindustan Times/gettyimages
12月25日はスズキの中興の祖である鈴木修氏の命日だ。「俺は中小企業のおやじ」といいながら、地方を飛び出し海外を開拓したカリスマ経営者。庶民的でお茶目な人柄も魅力だった。いくつもの顔を見せた鈴木修氏の名言(時に珍言!?)を振り返る。(佃モビリティ総研代表 佃 義夫)
「インドは100歳を越えたら…」
鈴木修のひとことに絶句
「鈴木修相談役が亡くなりました」とスズキの岡島有孝東京支店長から電話を受けて、「えーっ!」と声を出すのが精一杯だった。2024年12月25日、カリスマ経営者・鈴木修氏が逝去(享年94歳)した。
浜松で軽自動車を作っていたメーカーを、インドやハンガリーに先駆けて進出することで世界企業に飛躍させた鈴木修氏。筆者は自動車記者として50年近く付き合いがあり、21年6月の株主総会直前、経営の前線(代表取締役会長)から退く“最後のインタビュー”をさせてもらった。そのインタビューでのひとこと。
「インドには200回以上行ったが、一度も観光をしたことがない。100歳を越えたらゆっくり観光をしたいね」
さすが……!と思いながら絶句した。「仕事が趣味」が口ぐせだったおやじさんは、100歳まで生きる執念を見せていた。取材後に昼食を共にしたが、「これが浜松で一番うまい餃子なんだ」と修さんは餃子ライスをペロリと平らげていた。
逝去から1年――自動車業界に思わぬニュースが舞い込んできた。EU(欧州連合)が、日本の軽を参考にした小型EV(電気自動車)の新規格を設けるという。また、トランプ大統領が軽自動車の米国生産を承認し、規制緩和を指示したと報じられた。
欧米で、日本の軽自動車が大注目されている。きっと、天空から修さんもニンマリしているに違いない。
「軽自動車をめぐる動きは、いろいろあった。しかし、どっこい軽は生きている」と。







