「努力が報われた!」という実感はなぜ必要か?
僕は日々の練習を習慣化している。しかし長いシーズン中、つねに一定のコンディションでプレーし続けるのは難しい。僕にも「今日はなんだかダルいな…」と思う日はもちろんある。
そういう日に僕がどうやって気分を盛り上げて練習に臨んでいるのか…自分なりに分析してみると、僕の練習へのモチベーションは、主に2つの要素に支えられていることがわかった。
その1つ目の要素は、成功体験による喜びの感情だ。
大学時代に僕は、土橋とともに球速アップのために投球フォームの改造に取り組んだ。その結果、120キロ台だった最高球速が、わずか2カ月後には140キロ超までアップ。自分でもいまだに信じられないような成長の仕方だったと思う。
当時は練習すること自体が面白くて仕方なかった。何しろ、やればやっただけ、すぐに結果となってあらわれるのだ。大学1年の夏にフォーム改造に着手して、すぐに球速がアップ…1年の秋季リーグ戦で、その球速のボールを投げ続けるスタミナがないことに気づき、冬場に走り込む…するとスタミナがついただけでなく、相乗効果で球速がさらにアップ…。練習メニューを楽に感じるようになったら、さらにハードなメニューを自分から求めた。
そして、3年の秋季リーグ戦が終わるころには、元来ネガティブな性格の僕が、「もう大学生相手には打たれる気がしない」という自信を得るまでになった。今から振り返ると、このときの経験が、以降の野球人生を大きく変えてくれたと思う。
練習をすれば自分でも成長できるんだ──「練習は嘘をつかない」というスポーツ界の格言を身を以て実感できた貴重な体験だった。
ただ、一つだけ注文をつけるなら、「練習は嘘をつかない」という言葉は少しだけ間違っているのではないかと思う。土橋と出会う前の僕だって、自分なりには努力していた。決してサボっていたわけではない。しかし、結果だけがついてこなかった。
大学時代に僕が成長できたのは、目的意識を持って意味のある練習をしたからに他ならない。正しいやり方でなければ練習だって嘘をつく。正確には「効果的な練習は嘘をつかない」であるべきではないだろうか。