僕の練習へのモチベーションを支える2つ目の要素は、喪失に対する恐怖感だ。

 何度も繰り返すが、土橋と出会う前の僕は人並みの投手だった。しかし、大学時代に彼と出会い、大きく成長を遂げることができた。僕一人の力では絶対に無理なことだったと思う。自分では発掘できなかった潜在能力を、100%近くまで引き出すのを手伝ってもらった、と言えばわかりやすいだろうか。

 僕自身は、「プロ野球選手・和田毅」という存在を、土橋と僕の2人でつくり上げた“作品”だと捉えている。まっさらで何もない地面に、練習という材料をあとから積み上げて完成させていった人工的な作品だ。だから僕はつねに「もし練習で手を抜いたら、その築き上げた作品が、まるで魔法が解けるように一気に消えて無くなってしまうのではないか」という恐怖心を抱いている。これは、天性の才能にあふれた他のプロ野球選手たちには理解しがたい感覚かもしれない。

「プロ野球選手・和田毅」という存在であり続けるために、その恐怖と戦いながら僕は毎日、練習に臨んでいるのだ。

不器用さが僕の長所だ

 プロ野球の世界には、僕とは真逆の「天性の才能に恵まれた選手」が何人もいる。同い年であり、かつてのチームメートでもある新垣渚(2016年、現役引退)は、そんな天才型プレーヤーの典型だった。150キロを超すストレートと、鋭く変化するスライダーは、誰でも簡単には真似できない彼だけの武器だった。

 いったいどういう感覚で投げれば、ボールがあんなに変化するのか…興味があったので渚にスライダーの投げ方を聞いたことがある。

 その答えが衝撃だった──。

「こうやって握って、エイ!ってひねるんだよ」

 そう言って彼は、彼はボールを持ちながら、手首をひねって見せてくれた。

「あぁ…これは自分には真似できないレベルの話だ…」というのが、そのときの正直な感想だ。
プロ野球界には、ボールを指で挟んで投げてみたらフォークボールになったとか、いきなり試合で新しい変化球を試したという天才の逸話がそこら中にゴロゴロしている。

 しかし僕の場合、スライダーを習得する際に、自分で納得できる変化をさせるまでに2カ月はかかったし、チェンジアップに至っては、試合で使えるようになるまでに1年間の地道な練習期間を要した。僕は他のプロのピッチャーたちに比べて、フィジカル面で劣るだけでなく、器用さの点でも及ばないのだ。