そこで衝撃をケースカバー、メタルケース、ゴムガードリング、メタルガードリング、保護ゴムの5段階構造で吸収する構造を編み出した。だが今度は電子部品が毎回一つだけ壊れるという現象に悩まされる。液晶が割れ、液晶を強くするとコイルが破損、コイルを強くするとまた別の部品が壊れる、もぐらたたき状態に陥った。

 結果が出ないまま82年の秋が来た。すでに発売日は83年4月と決まっていた。

 それが約半年先に迫っているのに、基本構造すらできていない。伊部は夢でアイデアが出るかと枕元に開発部品を置いて眠った。だが、夢のお告げがあるはずもなく、「眠らなければ自分だけには朝が来ないかもしれない」と考えるほど追い詰められていた。当然そんなこともなく、「来週辞表を出そう」と決めた。

 日曜日。辞意を固めて身辺整理のため休日出勤した伊部は、昼食を取りに外に出た。研究センターの隣には公園があり、小さな女の子がゴムまりをついていた。その様子をぼーっと眺めていた伊部の脳裏に、文字通り突然電球がきらめいた。伊部の目には、ゴムまりの中に時計の心臓部が浮いている光景がはっきり見えたのだ。

 5段階の衝撃吸収構造に加え、小さな点接触で心臓部を“浮かせる”ことで衝撃を吸収する構造だ。これが決定打となり、ようやく壊れない時計の基本構造は完成した。

 バンドにも工夫を凝らした。時計の素材として利用されることがなかったウレタンを「医療機器に使用されていて人体にやさしい」という理由で採用。だが、複雑な形状に加工することが難しく、加工担当の協力工場からは何度も泣きが入った。伊部は「形状変更も素材変更もできない。私にできるのはお付き合いすることだけです」と数カ月間、毎日工場に通い、朝方近くまで工場の技術者の横に寄り添って、「あなたにしかできない」と言い続けた。4カ月かけ、とうとうバンドも完成した。

 そして83年4月。たった1行の企画書からスタートした耐衝撃時計、G-SHOCKは世に出た。GはGravity(重力)から取り、自由落下による衝撃に耐えられるという思いを込めた。