被災者を長期間見守り
若手医師も惹きつける

 キャンパスも大きな被害を受けた。コンクリートの建物は全て入館禁止。体育館に避難し、雪をしのいだ。通行許可証をフル活用し、東京の拠点に全国から届いた救援物資を持ち帰り、2週間を生き延びた。

「東北大学は災害対策本部になっておりましたので、3月25日に、『さあ、これからどうしようか』という話し合いをしました。その時に出たのが、元に戻すだけでは大きく変わらないだろうと。私たちに必要なのは、元を上回るような、東北地方の発展につながるような創造的な復興だ、それをやろうという意見でした。東北大の医学部は研究に力を入れています。医学系の研究者がどういった方法で、創造的復興に貢献できるだろうかと考え、出てきたのが『メディカル・メガバンク』だったのです。

 それまでの2週間、被災地各地への医師の派遣はもとより、布団を持ち帰ったり、全国から物資を調達して配ったり、目いっぱい動いていましたが、それは一時的な支援です。

 中長期スケールの支援をするには、どういうことが望ましいのか。必死に考えました」

 東北大学の医学研究科に、世界をリードするようなライフサイエンスのイノベーションに繋がるセンターを創り、東北地方を求心力にして、創造的な復興を実現しようという方向性で、意見が固まった。

 それが「メガバンク」になったのには3つの理由があった。

「第1は、何十万人という人が津波で家をなくし、仮設住宅に入ったり、避難をしたりという未曽有の事態が起きていましたので、そういう方々の健康を、長く見守って行くような医療をやるため。

 第2は、沿岸部で6つの公立病院が流されたのですが、その際、カルテも流されてしまい、継続した診療ができなくなっておりましたので、もう2度とカルテを失くさないような医療システムを作りたいと考えたこと。

 第3は、優秀な若手医師が腰を据えて、災害からの復興に貢献してくれるような体制を作りたいと思ったことでした。

 というのも、沿岸部は、そもそも若手の医師が行かないようなところなんですね。仙台までならみんな行きたいと思うけど。やはり自分の将来のキャリアを考えると、医師としての訓練や研究ができないようなところへは行けない。

 この3つを、連立方程式を解くように考えた結果、『コホート調査』とバイオバンクを軸にする事業を行おう、ということになりました」