誰もが社会的弱者になり得る
津波で妻を失った陸前高田市長の決意
東日本大震災の大津波で甚大な打撃を受けた岩手県・陸前高田市役所は、戦後の日本で最大の「事業継続」問題に直面した組織かもしれない。災害時には、トップや経営陣を含め、誰もが社会的弱者になり得る。場合によっては、職場で津波の犠牲となった大槌町長・加藤宏暉氏のように、トップの生命が失われる場合もある。
陸前高田市市長の戸羽太(とば・ふとし)氏は、2011年3月11日のそのとき、市庁舎で執務中だった。市長に就任してから4週間後のことだった。
大地震が収まり、ついで大津波の襲来が知らされたとき、戸羽氏は「車ですぐ近くの自宅に戻り、妻を高台に避難させたい」と考えた。所要時間は10分以下であろう。しかし内心に葛藤を抱えながら、職場で市長の役割を果たし続けた。妻は津波の犠牲となり、小学生だった2人の子どもたちは母親を失った。
戸羽氏は「市長が市長の仕事をするという当たり前のこと」と淡々と述べた直後、悲痛な声で「妻を、子どもたちのお母さんを亡くしたということの後悔は、一生消えないと思う」と語った。2017年11月、岩手県で開催された全国の生活保護ケースワーカーの勉強会「全国公的扶助研究会全国セミナー」の基調講演での1コマだ。
東日本大震災が襲ったとき、市役所では約300名の正職員と約150名の非常勤職員が働いていた。その約4分の1にあたる111名が、津波の犠牲となった。どの1人にも、父親や母親や、夫や妻や、子どもたちや恋人がいた。戸羽氏は「どんな人もまず1人の個人であり、家族の大切な一員」という観点から、「公務員の命を大切にしてほしい」と訴え続けている。
生きながらえた陸前高田市職員と戸羽氏には、市民の生存と生活を守り、地域を再建する役割が課せられた。震災前の陸前高田市の人口は、約2万3000人。その小さな自治体で、約40人の子どもが津波で両親を失って孤児となり、約150人の子どもが両親のどちらかを失った。