しかし、佐川前国税庁長官・元理財局長への証人喚問で野党、メディアがヒートアップし、野党が元々「敵」であったはずの籠池理事長に接見してヒアリングしている状況を見ると、逆に「首相夫妻の関与か財務省の忖度か」だけに過度に注目が集まることに、少し距離を置きたくなってくる。要は、財務省の忖度が仮にあっても、それは「首相夫妻」に対する忖度だと単純に済ませていいのかということだ。

 赤池氏、池田氏の文科省への照会から垣間見えた「保守系の団体」による政治・行政に対する働きかけが日常的に行われているであるならば、「合法的な陳情」とされた森友学園問題の「書き換え前の文書」に記載されていた政治家の名前も、もう一度見直す必要が出てくるのではないか。

 自民党や維新の会のような「保守」の地方政治家や国会議員と、保守系の団体の間に日常的に様々な接触があると考えるのは、いまや「常識」だ。なんと、現在の安倍政権の閣僚20人中19人が神道政治連盟メンバーだ(週刊ダイヤモンド2018年3月24日号『特集:劣化する伝統宗教 神社・仏教 大騒乱』)。

 政治家が「団体」の会員となる目的は、普通に考えれば、その団体の思想信条に賛同するからではない。選挙での集票を期待するからだ。換言すれば、いまや保守系の団体は自民党の非常に有力な「集票マシーン」となっているということだ。

 逆に、「集票マシーン」の団体が自民党に期待することは、自民党を通じて自らの「利益」を実現することだ。保守系団体の様々な「声」が、全国の国会議員や地方議員が日常の政治活動を通じて、財務省や文科省などの中央の官僚組織に多く届けられていたことは、容易に想像できる。そして、官僚はそれらの「声」を無視できなくなっているのではないか。

 日本会議は「同一視されるのは心外」と籠池理事長を切り捨てた。森友学園問題は、籠池理事長という「変わった人」が「首相夫妻と深い関係にある」と言って財務省に絡んだ「特殊な問題」という扱いだ。だが、むしろこの問題は、全国の政治の現場と霞が関に広がっていることの「氷山の一角」が見えたということではないか。保守系の団体が、政治家の日常活動への影響力を次第に強めていき、中央の政治・行政への介入が日常的に起こるようになり、官僚が無視できないレベルに達したという、日本社会に起きている深刻な構造的問題と捉えるべきなのではないだろうか。

 この連載では、保守派の神がかったような非科学的な主張が、日本を衰退させると批判してきた(第144回)。野党は、この問題をどうしても「首相夫妻の資質問題」に持っていきたいようだ。だが、もっと根深く、面倒で、深刻な問題を、逃げることなく追及すべきなのではないだろうか。