高脇健一は、額の汗を手の甲でぬぐった。

 全身の筋肉が強ばる感じは、低目の温度設定のためばかりではない。室内は緊張した空気が張り詰めている。

 もう一度プリンターから流れてくるデータシートを手に取って、食い入るように見つめた。データシートには、関東地区に設置された二百余りの地震計から送られてくる観測データが印字されている。

 東都大学理学部、地震研究所の一室で、数人の男たちがプリンターを取り囲んでいた。

 「やはり、早く公にしたほうがいいんじゃないですか。予想より、かなり早まりそうです。データは十分すぎるくらいあります」

 「しかし、こんな結果が公になるとパニックが起こることは確実だ。東京が大混乱に陥り、すぐに日本中に広がる」

 「注意を喚起するだけです。それだけでも、十分な効果があります」

 「コンピュータシミュレーション結果とも一致しています。この調子だと5年以内に関東大震災レベルか、それを上回るものが起こると予想されます」

 「もし、我々の判断が間違っていれば――」

 日本経済、いや世界経済に大きな影響を与える。自分にはそんな重圧に耐えるだけの自信はない。しかし、という思いもある。自分は何のために研究を続けてきたのだ。

 「やはり公表はもう少しデータを集めて、他の研究機関と協議してからだ」

 一人プリンターの前に残った高脇は、横のパソコンに目を移した。

 ディスプレイ上には関東全域の地図があり、ほぼ赤マルで埋まっている。ここ半年間のマグニチュード3以上の地震の震源を示したものだ。

 さらにその横のパソコンには、数百年前からの地震発生データが入れられている。大きなピークが何度も現われている。歴史上にのこる巨大地震だ。

 そして近年でいちばん大きなものが、関東大震災を引き起こした大正関東地震だ。

 自分のデスクに目を移した。中には両親の写真が入っている。デスク上に置くのはためらわれた。

 あのとき、無理やりにでも両親を東京に呼んでいれば──。

 東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の予兆は観測されていた。しかし、それを声高に叫ぶ勇気も手段も持っていなかった。そのせいで両親が亡くなった。その思いは今も心の奥に残っている。父親の遺体はまだ見つかっていない。

 後では何とでも言うことができる。実は、予兆はあった。起こることは分かっていた。あの震災の後でも聞いた言葉だ。

 高脇は携帯電話を出して、メモリーから選択した番号を押した。しかし帰ってくるのはいつも通り、電波外か電源の問題を告げる女性の声だ。

 外出をことわって外に出た。

 通りに一歩踏み出して思わず身体を震わせた。冷気が全身を包んだのだ。コートに白い点が無数に着き始めた。見上げると顔にも降りかかってくる。雪だ。

 高脇はコートの襟を立てて、地下鉄の駅に向かって歩き始めた。