もっとも、内閣人事局の設置を含む国家公務員制度改革は、元々は内閣としての政策の企画立案から執行までを効率的に行うのみならず、その効果を最大限発揮させることを企図して検討が進められてきたものであり、国家公務員の幹部職員人事について、内閣総理大臣がある程度強い権限を持つことについては、否定されるべきものではない。

 一方で、内閣とのある種の一体性を考えるのであれば、幹部職員はこれまでどおりの一般職ではなく、身分保障のない、各府省の人事から切り離された「特別職」とすべきであり、そうなれば職員自らがリスクを取ってその職に就くことになるため、「忖度」による弊害の生じる余地は限りなく小さくなるはずだ。

 実際、例えばフランスの大臣官房の幹部職員はそうだし、日本でも、これまでに退路を絶って政務の総理秘書官や大臣秘書官(いずれも特別職)に自ら転じた例はある。

 幹部職員を特別職とすることを含む国家公務員法の改正案を立案し、国会に提出したのはかつての民主党である。

 しかし、日本の国家公務員の幹部職員の人事制度では幹部職員は一般職であり、これまでの人事に内閣総理大臣等が強く関与するようになっただけのような形であれば、今後の自らの人事、処遇を懸念して、過剰な「忖度」や「忖度」による弊害が生じるのは「自明の理」とも言えるのではないか。

「特定の組織」を悪者に仕立て上げるというのは世の常のようなところもあるが、つまるところ、「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「忖度」問題、過剰な「忖度」による弊害は解決しないだろう。

 そもそも、それらを完全になくすことは不可能であろう。

 そうした前提に立って、現実的な視点から「忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきではないだろうか。