労働法は戦前の「工場法」が元になっている
雇用契約・労働契約の自由が制限された背景には、日本の近代化の歴史があります。
産業革命の進行、工業化とともに資本主義経済が根付き始めた明治時代、日本では労働者階級の安全性を欠く労働環境、労働条件の劣悪さが徐々に問題視されるようになりました。
『ああ野麦峠』(山本茂美)や『蟹工船』(小林多喜二)に描かれている悲惨な世界です。工場労働者の過酷な長時間労働と低賃金が、日本の文明開化、富国強兵、殖産興業を支えたのです。
そんな工場労働者を保護するため、1916年に工場法が施行されました。それにより雇用契約の自由は制限され、幼年労働者や女子労働者の雇用、労働時間や深夜労働が規制されることとなったわけです。
戦後、1947年に工場法は廃止されました。しかしその精神は、新たに制定された労働基準法に脈々と受け継がれています。
すなわち、労働基準法をはじめとする日本の労働法は、
使用者の労働者に対する権力は圧倒的に強いため、契約自由の原則をそのまま適用すれば労働者にとって劣悪な労働条件の雇用契約を強いられることになりかねない
安全性を欠く労働環境で無理な労働を強制させられれば、労働者が健康を害しかねない
という考えに基づいて制定され、使用者側の契約の自由を大幅に制限しているのです。
ですから、たとえ「時給は100円でもかまわない。3時間の睡眠時間さえあれば、休憩時間も必要ない」というアシスタント志望者がいたとしても、漫画家はその内容で雇用契約を結ぶことはできません。
最低賃金法で定められた最低賃金額以上の賃金を払わなければなりませんし、休憩時間の取り決めも必要になります。残業が発生する場合には、あらかじめ労使間で残業を可能にする協定を結び、残業代もすべて払わなくてはなりません。
本当に労働者は弱者なのか?
しかしながら「労働者の立場は弱い」という労働法の前提は、現代の日本企業で成立するのでしょうか。
昔とは違い、労働者はかなり自由に職業を選択できるようになっています。もし意にそわない職に就いたとしても、すぐに辞めることができるでしょう。
明治から昭和初期に紡績工場で働いていた女工のように、監獄のような工場に閉じ込められて脱出できないという労働者はまずいません。使用者に過酷な労働をしいられて泣き寝入りせざるを得ないという人はほとんどいないのです。
こうした現代の社会状況を考えると、一概に「労働者は弱者である」とは言えないのではないか、と思わざるを得ません。