以上の3点を理由として挙げることについて、筆者も基本的に同意する。

 筆者は80年代からアメリカで自動車産業に関する取材を始めた。スバルについては、90年後半にロサンゼルス近郊で当時のインプレッサWRXを個人的に購入。その後もスバルの北米事業統括拠点であるスバル・オブ・アメリカ(SOA)と当時の富士重工業本社への取材等を通じて、スバルのアメリカ事業の変化をリアルタイムで見てきた。

ベストタイミングにベストプロダクト
メーカー・ディーラー・ユーザーの新しい形へ

歴代フォレスターの実車を並べて、新型フォレスターの世界初公開を行った Photo by Kenji Momota

 上記(1)の商品ラインナップについては、富士重工業(当時)本社は2000年代中盤に世界市場での規模の拡大を狙った際に、スバルブランドが得意とするセグメントで伸びしろが大きいと考えられた、アメリカ市場重視路線を打ち出した。それに伴い、ボディサイズを大きくするなどアメリカ人の嗜好を念頭に商品企画を大きくシフトした。2007年6月発売の第三世代インプレッサと同年12月発売の第三世代フォレスターを皮切りに、レガシィ、アウトバック、クロストレック(日本のXV) と次々と商品を投入した。

 2007年~2008年といえば、リーマンショックによってアメリカの経済規模は一気が収縮し、自動車需要は最良期の1700万台から1000万台へと急減した時期だ。

 GMとクライスラー(当時)が事業再生法チャプター11を申請して事実上の倒産となる大波乱が起こったが、アメリカ重視型の商品ラインアップを取り揃え始めた富士重工業は、実はこの時期では唯一となる販売台数で前年比プラス成長のメーカーとなった。