バスルームでシャワーの音がする。
森嶋はぼんやりした頭で聞いていた。昨夜はほとんど寝ていない。外が明るくなり始めてから、やっとウトウトし始めたところだ。
チャイムの音で現実に引き戻された。
〈私よ。ちょっと話があるの〉
インターホンの声を聞いて飛び起きたが、すでに遅かった。
ドアを開ける音と同時に、「グッド・モーニング」とロバートの声が聞こえる。
急いで玄関に向かうと、ドアの前でロバートが優美子の腕をつかんで中に引き入れようとしていた。
「腕を離せ、ロバート。彼女は職場の同僚だ!」
「同僚がこんな朝早くに部屋までやってくるのか。最高の国だな」
「俺が頼んでいたものを持ってきてくれたんだ」
「日本じゃそんなことで自宅に呼び付けるのか。こんな美しい女性を。こんな早朝に」
「細川優美子さんだ。財務省に勤務している」
「なんなのよ、この人は」
優美子は嫌なものを見るような目でロバートを見ている。
ロバートは上半身裸で、腰にバスタオルを巻いただけだ。バスルームから飛び出してきたのだ。
「アメリカ時代の友達。おかしな奴じゃない。ただの女好きだ」
そのとき、バスタオルが床に落ちた。
優美子はロバートの腕を振り払うと部屋から飛び出ていった。
「お前の恋人か」
「同僚だと言っただろ」
「それだけだとしたら、明らかにセクハラだぞ。アメリカじゃ大問題になる」
「日本だって同じだ。我々は同期に入省した同僚だ」
「早く用意しろ。時間がないぞ」
ロバートが時計を見た。
「まだ7時だ」
「あと30分で大使館の車が迎えに来る。1時間後には大統領特使として、俺は総理と会っている。お前も俺と一緒に総理に会う。通訳として」
思いがけない言葉に森嶋はロバートの顔を見た。いつもはすぐにジョークと叫んで笑い出す男だが、森嶋を見返してくる。
「大使館には専門の通訳がいるだろ。外交に関する話だろ。俺には正確に伝える自信はない」
外交の英語は特殊だ。アメリカ大統領特使と総理の懇談で、素人が通訳をするなど聞いたことがない。
「俺は大統領の特使として極秘に来日した。公式には残らない懇談だ。アメリカ大統領の意向が伝わればいい。それに、お前には知っていてもらいたいことでもある」
ロバートは森嶋を見つめた。
今まで見たことのない真剣な表情だ。森嶋の顔が引き締まった。
「極秘の会談だ。限られたもの以外には知られたくない」
「なぜ、来たときに言わなかった」
「言ったら眠れなかっただろ。さあ、お前のオフィスに電話だ。今日は休むと言え。理由は何でもいい。先週の電話で今月いっぱいは暇だと言ったはずだ」
ロバートは森嶋の背中をドンと叩いた。
「総理と会うんだ。どんなウソをついてもばれる」
「じゃ、ばれても困らないウソにしろ」
ロバートはスーツケースから出したスーツに着替えている。
森嶋も慌ててバスルームに向かった。
(つづく)
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