50代で「守りに入る」ことが定年後を危うくする理由自分の人生に満足し続け、実際に安定させるためにも、「働き」の幅を常に広げ続けていますか?安心や安定を求めて「守りに入る」と、定年後を危うくすることに!(写真はイメージです)

 

 今回からしばらくの間、人生100年時代において定年後の第二の人生を満足できるものにするための「定年前5年の過ごし方」について考えてみたいと思います。

 私は去年、還暦を迎えました。否も応もなく、それまでの人生を振り返りました。今までの人生の、仮総括のような心持ちでした。

 50歳になるまではいろいろなことに挑戦もし、自己投資もしてきたと言えました。子どもの頃にもそれなりに挑戦をしました。大学の選択、就職先の選択、大学院への進学もその時々での挑戦でした。そして新卒で入社した会社を退職し大学教員の道に進み、マスコミでの仕事を始め、複数の会社のコンサルタントや顧問を務め、研修ビジネスもスタートしました。

 決して人任せの人生ではなく、私なりに頑張ってきたつもりでした。しかし、50歳から60歳までの10年間、私はそうした積極的な試みをあまりしてこなかったことに気づきました。

 もちろん、何もしなかったわけではありません。60歳以降の人生を考え、その時点ではもうあくせく働かなくても、悠々自適になるためにはどうすればいいかを考え行動しました。安全・安心の余生を最大のテーマとして、そのためのトライは行いました。

 しかし、いずれも上手くいきませんでした。

 安全・安心を目的とするのは、実は危険なことであると気づきました。それが、ここまでの人生を振り返った時の最大の反省です。端的に言えば、守りに入ったことが失敗だったのです。