野球が超人気スポーツだった当時なら、それでよかったのかもしれないが、初心者がいきなり球拾いや声出しばかりをしても楽しいはずがない。いや、むしろ「野球なんてつまらない」と思う子どもさえいるかもしれない。上級生と下級生の2チームに分けたうえで、練習の時間帯をうまくズラすなどして、下級生にもボールやバットに触れる機会をつくるといったことは、実際の指導現場でも行われているのではないだろうか。

 せっかく「野球の入り口」に立ってくれた子どもたちには、最低限、「投げることと打つことの楽しさ」を実感してもらいたい。それがわからないまま野球から離れてしまうなんて、これほど残念なことはないと思うからだ。

続けた人だけが手にする「特別な」楽しさ

 投げる・打つという野球の基本動作に伴う喜びに焦点を絞って話を進めてきたが、野球の練習を「継続する」うえでは、ほかにもいくつかの楽しさがあるようにも思う。

 野球の初期段階の楽しさに目覚めて野球を続けていると、今度は「でも、なかなか狙ったところに投げられないや……」とか「打ってもボールを遠くまで飛ばせないな……」というような壁に直面する。

ソフトバンク和田投手「もし僕が少年野球のコーチなら」

 ここで、「どうすればコントロールがよくなるか?」「どんな打ち方をすると、打球を飛ばせるのか?」ということを、子どもなりに自分で考えて工夫するプロセスがはじまる。こうやって自分なりの仮説を立ててみて、それを実際に試してみるという作業が、僕をさらに野球に夢中にさせていった。これは、投げたり打ったりするときのシンプルな楽しさとは違う。より高次の楽しさと言っていいだろう。

 ひとたびこのサイクルに入ると、年齢が上がるにつれて、「投球のスピードが上げるには?」「スピードが遅くても、バッターを抑えられる方法はないか?」「あの強打者から三振を奪うには?」というように、自分なりの課題がどんどん見つかっていく。そのたびに考えて工夫する。

 こうした「試行錯誤の楽しさ」は、現在の僕にも欠かせないものだ。いまではトレーナーの土橋の力も大いに借りながら、自分に足りないものは何かを分析して、それを補う練習メニューを考えていく。課題があるのだから、途中でやめるわけにはいかない。僕はそうやって野球にどんどんのめり込んでいった。

 さらに忘れてはならないのが、「成長による楽しさ」だ。ランニングしたり、トレーニングしたりすれば、息が上がって苦しいのは当たり前だ。試合で負けたり、ヒット・ホームランを打たれたりすれば悔しい。しかし、それらの練習を継続することで、「できなかったことができるようになるとき」がやってくる。そのときの喜びは格別だ。これがまた、さらなる練習の原動力になってくれる。