といっても、現在の僕が野球少年・少女に接する機会は、シーズンオフに開催される野球教室の場くらいである。実際に少年野球の指導にあたっている方からすれば、あまりに無知だと思われることもあるかもしれないが、あくまでも僕自身の経験に基づいて、「こんなことを大切にすれば、大人も子どもも練習を続けていけるのではないか」ということを語っていくことにしよう。
「さほどうまくもない子」がなぜ練習を続けられたのか?
僕が野球を本格的にはじめたのは、小学1年生のときのことだ。当時は愛知県江南市に住んでいたこともあり、地元の「江南クイッカーズ」というチームに入った。
実は、初めて野球に接したこの時の印象が、現在も強烈に心に残っている。ボールを投げる。ボールをバットで打って走る。この基礎的な動作が、楽しくて仕方なかったのだ。
何がそんなに楽しかったのか、いまとなってはもううまく説明できないが、とにかく単純に投げて打つだけのプレーなのに、どんなに続けても飽きることがなかった。
その野球チームは、週末の土曜・日曜に活動していて、平日は自主参加の朝練を行っていた。自分で言うのもなんだが、僕は小学生時代から、とくに真面目で勤勉なタイプだったわけではない。身体も小柄だったし、はじめからキラリと光るセンスを見せていたかというと、そんなこともなかった。
それにもかかわらず、どういうわけか当時の僕が、自分で小遣いを貯めて目覚まし時計を買い、一人で起床して毎日のようにその朝練に参加していた。夏の暑い日も、冬の寒い日も……さすがに雨の日は休んだが、それでも小雨程度だったら、喜んで近所のグラウンドまで走って向かった。
いまだに両親が「毎日よく続けていたよねえ」と言うほどだ。自分で振り返っても、「たいしてうまくもなかったのに、よくも飽きなかったものだな……」という気持ちになる。
なぜ続けられたかといえば、当時の僕のなかには「野球って楽しいな!」という思いがずっとあったからだ。しかも、誇張でも何でもなく、いまでも僕はこのときの「楽しさ」を抱き続けている。
当時から約30年の時間が経過しているが、僕がこの年齢まで現役としてプレーしてこられたモチベーションの源泉は、6歳のときに感じた「野球は楽しい!」という原始的な感情に帰結するように思う。それほど、当時の僕にとっては、野球は楽しいことだったのだ。