ハリルホジッチ氏は日本代表監督を解任された理由に納得していない
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ワールドカップ・ロシア大会の開幕まで2ヵ月あまりに迫った段階で、日本代表監督を電撃解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ氏(65)が4月27日午後4時から、東京・千代田区の日本記者クラブで記者会見に臨む。急病などやむを得ない緊急事態時を除けば、日本サッカー協会(JFA)のトップとなる会長が日本代表監督の去就にタッチした事例は、サッカーがプロ時代へ舵を切られた1992年以降で3度目。当時の指揮官を続投させた長沼健、岡野俊一郎両会長(ともに故人)が下した決断と比べて、田嶋幸三会長(60)による今回のハリルホジッチ前監督の解任は、曖昧さと分かりにくさを残し、ハリルホジッチ前監督が来日した上で反論会見を開く前代未聞の事態を招いている。田嶋会長の決断は、なぜこれほどまで後味の悪さと不可解さを残してしまったのか。過去3度の事例をあらためて比較・検証した。(ノンフィクションライター 藤江直人)

3度も起きた会長による日本代表監督の人事介入
「加茂監督」続投に見た長沼会長の“覚悟”

 雇い主となる日本サッカー協会(JFA)のトップと、雇われる側となる日本代表チームのトップ。両者の距離は近いようで、遠い。Jリーグの設立とともに、サッカー界全体がプロ時代へ舵を切った1992年以降は、JFA内の専門委員会のひとつである強化委員会あるいは技術委員会が間に入ってきたからだ。

 同委員会は代表監督及び代表チームをサポートしながら、一方で委員長を中心として監督の仕事や手腕に対する評価も担当する。例えば、長く国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めたスポーツ界の重鎮で、1998年から二期4年に渡ってJFA会長を務めた岡野俊一郎氏(故人)はこう語っていた。

「会長が代表チームに絡むべきではないと、基本的には考えています」

 しかし、イビチャ・オシム監督が脳梗塞に倒れた2007年11月と、スペインリーグ時代に八百長行為に関与したとして、ハビエル・アギーレ監督が地元検察に起訴された2015年2月の緊急事態を除けば、JFA会長が代表監督の去就にタッチした事例は1992年以降で3度を数える。

 1度目は1995年11月。読売クラブや日本代表で守備の要として活躍した加藤久氏を委員長とする強化委員会は、国際舞台で指揮を執った経験の乏しい加茂周監督のもとでは、1998年のフランス大会で悲願のワールドカップ初出場を目指すアジア予選を勝ち抜けないという判断の下、更迭を決断する。

 後任として内定させたのは、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)を率いていたブラジル人のネルシーニョ監督。ヴェルディ側の了承を取り付け、ネルシーニョ側とは年俸など具体的な条件の交渉も開始していた矢先に状況が激変する。

 2002年ワールドカップの招致活動から帰国した長沼健会長(故人)が、代表監督選定で権限を持たせていたはずの強化委員会の決定を覆す、まさに「鶴の一声」で加茂監督の続投を決めた。大騒動に発展した過程が説明された記者会見で切られた長沼会長の啖呵は、今も語り継がれるほど強烈だった。