大ベストセラー『磯野家の謎』制作秘話。

竹熊 なるほど。杉森さんが手掛けられた『磯野家の謎』は1990年代頭くらいですよね?

学生時代に月数百万円を稼いだ、「狂騒の80年代」――杉森昌武の場合。【前編】竹熊健太郎(たけくま・けんたろう)
1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん・サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。4月に『フリーランス、40歳の壁――自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』を上梓。

杉森 1992年ですね。当時、京子は「ポップティーン」でよく仕事をしていて、そこの編集で知り合った赤田(祐一)さんから話の原案をもらったんです。最初はサザエさんを小説にしたい、という企画でした。北杜夫『楡家の人々』のようなテイストにしたい、ということだったんですよ。それで、京子は原稿用紙20枚を一晩で書いて持って行ったんです。

竹熊 筆が本当に早い(笑)。

杉森 いや、本当にすごい。えのきどもイタバシもすごく筆が早かったけど、京子は超人的だった。竹熊さんと俺は筆が遅いから商売を間違えたんだよ、きっと(笑)。
 それで話を戻すと、そのサザエさん小説化の企画は一旦止まってしまったんです。忙しいから、俺も京子も忘れていたんです。でもある日「あの話、Q&A形式にしたら面白いかも」と思い付いた。それでいくつか質問と答えのサンプルを作って飛鳥新社に持ち込んだんです。そしたら面白い!となって単行本の企画として走りはじめたんです。結果は続編を含めて320万部の大ヒットになった。

竹熊 失礼な言い方かもしれませんが、京子さんにとても助けられていますね。

(後編に続く)