アメリカの野球ファンが
大谷翔平選手のプレーに熱狂!

 いまもっともインタビューが楽しみな選手がエンゼルスの大谷翔平選手である。

 スプリングキャンプでの不調が嘘のように開幕から投打で大活躍し、4月の月間最優秀新人にも選ばれた。伝説でしか知らなかったベーブ・ルースのプレーを目の当たりにしているかのよう奇跡にアメリカの野球ファンが熱狂しているのはご存知の通りだ。

 たしかに大谷のプレーは素晴らしい。誰よりも速い球を投げ、誰よりも遠くにボールを飛ばしたいという野球少年の理想を、そのまま体現したかのような選手である。もちろんその素晴らしいプレーの数々は、あの恵まれた体躯から生み出されたものに違いない。だが果たしてそれだけだろうか。

 たとえばキャンプであれだけ結果が出ずに、アメリカのメディアでも「ツー・ウエイ」(二刀流)に懐疑的な論調が目立っていたにもかかわらず、大谷自身は涼しい顔をしていた。あのメンタルの強さはどこから来るのか。

 大谷のインタビューに耳を傾けていると、言葉の端々から知性が感じられる。年上の記者たちを前に態度も落ち着き払って堂々たるものだ。日米のメディアから浴びせられる質問に対して、借り物ではない自分の言葉を返す姿は、とても23歳とは思えない。

 大谷のプレーの根幹には、類稀な知性があるのではないかというのが、個人的な仮説だ。だとするならば、あの知性はいったいどうやって育まれたのだろうか。

「大谷翔平」はどのようにして生まれたか。その秘密の一端を解き明かしてくれるのが、『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』だ。著者は大谷が15歳の時からコツコツと取材を続けてきたジャーナリスト。家族にも信頼されているようで、大谷家のリビングに招き入れられてご両親にじっくり話を伺っている。まさに知りたかったことが書かれた一冊だ。

 父親の徹さんは岩手県北上市出身。社会人野球の三菱重工横浜(現・三菱日立パワーシステムズ)で25歳まで現役でプレーしていた経験を持つ。同じ職場の実業団チームでバドミントン選手として活躍していた加代子さんと結婚し、29歳で地元の岩手に戻ることを決意。翔平は、一家が岩手に引っ越して約1年後の1994年7月5日に生まれた。兄と姉がいる3人兄弟の末っ子だ。

大谷家の子育ては自由放任ではない
寄り添うというスタンスである

 インタビューを読んでわかったのは、大谷家の子育ては、子どもを見守ることに徹してきたことに尽きるということだ。自由放任というのではなく、そっと寄り添うというスタンスなのだが、これは簡単なようでいてなかなか出来ることではない。

 徹さんは大谷の小学生時代は少年野球チームの監督を務め、中学生の時に所属していたシニアリーグのチームではコーチだった。野球界では親が指導者というケースは珍しくない。かつて昭和のスポーツジャーナリズムの世界には「父子鷹」(おやこだか)という言葉があった。勝麟太郎(海舟)とその父小吉の二人三脚を描いた子母澤寛の小説に由来する言葉だが、獅子の子落とし伝説のように、父は心を鬼にして我が子を厳しく鍛えるというのがお馴染みの物語だった。