検察は戦後、ロッキード事件など数々の国政・中央省庁のからむ事件を摘発し、国民の喝采を受けた。「巨悪を眠らせない」と大見えを切った検事総長もいた。庶民にとって、検察は、巨悪を摘発する正義の味方、希望の星だった。

 打って変わって今は、政界汚職の摘発から遠のき、今回のような官僚制度に対する国民の信頼を根こそぎ揺るがす公文書改ざん、廃棄という重大事件についても、はなからさじを投げているように見えた。

 かつての検察には、捜査上の「オールマイティー」を可能にする仕組みがあった。

 裁判所は検察を信頼し、検事が被疑者から供述調書を得、一定の裏付けがあると、ほぼ有罪判決を言い渡してくれた。

 だから検察は有力政治家だろうと、高級官僚だろうと、容疑があれば果敢に捜査した。おそらく、その時代の検察なら、今回の事件でも、背任と改ざんで積極的に切り込んだ可能性は大だ。

 だが2010年秋に発覚した大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、その捜査モデルは破綻した。

 事実と異なる供述調書を作成し法廷に出し、つじつまが合わなくなって調書に合わせて押収したFD(フロッピーディスク)の内容を改ざんしたのである。

 検察は逮捕した被疑者の取り調べへの録音録画の導入を受け入れざるを得なくなり、以来、政界汚職の摘発はなくなった。検察はその見返りとして捜査協力型の司法取引の導入を求め、6月1日から施行された。

 強い検察の再構築に向けた動きは始まったばかりだ。森友学園事件の捜査はそういう中で行われた。

次の舞台は検察審査会で
「強制的な起訴」の仕組みもある

 検察が、一連の財務省の疑惑の真相を徹底解明した上で適正な処分をしたかどうかの検証は、検察審査会に委ねられる。

 検察に財務官僚らを告発した弁護士や大学教授は4日、不起訴処分を不服として検察審査会に審査を申し立てた。