安価な輸入タオルの激増で
消滅寸前だった今治産地

 今でこそ「今治といえばタオル」というほどその認知度は高いが、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。

 技術に裏打ちされた高品質なタオルとして右肩上がりだった生産数量に陰りが見え始めたのは、80年代後半のこと。海外からの安価な輸入品が激増し、91年をピークに減少に転じた。その後、バブル崩壊も相まって今治の生産数量は減少を続け、ついに95年には輸入数量に逆転されてしまう。

「このままでは今治がなくなる」。藤高は強い危機感を抱いていたが、今治のタオルメーカーの業界団体である四国タオル工業組合(現今治タオル工業組合)の組合員の危機感は薄かった。

 背景には、今治のタオルメーカーが依存してきたビジネスモデルがある。今治のタオル生産は、70年代後半くらいから、海外の有名ブランドのタオルを受託生産するOEMが中心となっていた。バブル当時、有名ブランドのタオルは飛ぶように売れ、出来上がった製品は問屋が100%買い取ってくれるため、在庫リスクもない。「問屋の言うことを聞いていれば大丈夫、という考えがまん延していた」と藤高は振り返る。

 手をこまねいているうちに事態はさらに悪化していく。80年代まで1割程度だった輸入品のシェアは2000年代に入って8割近くまで上昇し、今治のタオルメーカーは次々と倒産・廃業に追い込まれた。そんな中、06年に組合の理事長に就任した藤高は、「小さな魚は群れにならないと生き残れない」と考え、今治タオルを産地ブランド化する「今治タオルプロジェクト」を立ち上げた。

 今治タオルにとって一番の課題は、知名度を上げることだった。そこでクリエイティブ・ディレクターの佐藤可士和をブランディングプロデューサーに迎え、太陽、海、雲、水をモチーフとした今治タオルのロゴマークが誕生した。

 さらに品質を担保するため、明確な基準を設けた。その最たるものが吸水性を検査する「5秒ルール」だ。タオル片を水に浮かべて5秒以内に沈み始めなければ、今治タオルのロゴマークを付けることは許されなかった。