東南アジアを中心に、次々と複数の事業領域の開拓を進めている諸藤さんに、エス・エム・エスの創業秘話、REAPRAでの活動についてお話を伺うインタビューの第3回(全4回)。
(ライター:福田滉平)

上場後、人材マネジメントに開眼

諸藤周平(もろふじ しゅうへい)
1977年生まれ。九州大学経済学部卒業。
株式会社エス・エム・エス(東証一部上場)の創業者であり、11年間にわたり代表取締役社長として同社の東証一部上場、アジア展開など成長を牽引。同社退任後、2015年より、シンガポールにてPEAPRA PTE.LTD.を創業。アジアを中心に、数多くのビジネスをみずから立ち上げる事業グループを形成すると同時に、ベンチャーキャピタルとして投資活動もおこなう。個人としても創業フェーズの企業に投資し多くの起業家を支援している。

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):エス・エム・エスの事業の立上げ期と、人材紹介ビジネスが大きく育っていく時期、上場して事業の幅が広がり規模を拡大していく時期、それぞれ経営の課題やスタイルは違ったと思うのですが、特に変わった点を教えていただけますか?

諸藤周平氏(以下、諸藤):2008年に上場したのですが、そのタイミングで、人を育成できていなかったことに気付いたんです。起業した当初は、事業を始めてから2~3年で辞めようと思っていたので、自分の後を継いでもらう経営者的な人を量産しないといけない、という意識はありました。
でもそれに対して、当時は会社の存在意義のみを定義していて、ミッションからビジョン、戦略へのブレークダウンもしてないのに、なぜか「みんな、自分の考えを分かっているだろう」と思いこんでいました。会社経営を形式知化せずに、全体の意思決定を自分の頭の中で統合して、1人で回そうとしていたんです。
そうすると、会社の方針の前提やプロセスを共有しないままに決定事項だけを伝えることになるので、事業創造や育成はできても、テコ入れは自分でやらなきゃいけないという状況になってしまっていました。この状態のまま、プロダクトが10個を超えて、かつ、上場まで行ってしまいました。その結果、みんなテンションは高いんだけど、本来育成されていれば能力の上がっていた人達に対して、育成の機会を提供できないままになっていたんです。
そこで、なんとかしようと、人材コンサルタントに「どうして人が育てられないのか?」と聞きに行くと、「そもそも会社のビジョンや戦略はどうなっているんですか?」と逆に尋ねられました。「中期経営計画は、だいたい前年比2倍で引っ張っている」と答えたら、「それでどうやって、人が伸びるんですか?」と指摘されて、すごく腹落ちをしたんです。
「会社の存在意義だけ定義して、10年後にどうなりたいという姿もないのに、人を育成できるわけがない」と言われ、まずいことをしてしまったと初めてそこで気づいた。改めて、経営者になれる人を育成しないといけない、と思いました。

朝倉:私は新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーで経営コンサルタントとして働いていましたが、2008-2010年頃は常にエス・エム・エスが経営コンサルタント出身者を募集していた記憶があります。

諸藤:実は当初、理想的な経営者として、「ビジョン、戦略を作ることができて、理解でき、実行し、推進できる人」という人物像を考えていたんです。
しかし、エス・エム・エスで実際にやることは中小企業の社長業務の委譲であり、その候補となる人材はマーケットに広く募集をかけたところで採用できない。どうしようかと考え直し「戦略が理解でき、自分の事業を作りたい人」と定義し直して、ポテンシャルベースで採用することにしました。こうした人材が、戦略系コンサルティングファームから採用できるのではないかというのが、当時、求人を進めていた背景です。
しかし、そうやって戦略コンサルの人たちを大量採用したら、今度は、組織全体がどんどんカオスな状況になっていきました。コンサル出身の人たちからは、10人いれば10通りの定義で戦略について語られるし、「社長が話す内容の意味がわからない」「論点ベースで話せていない」などと言われ、古くからいた人には、「エス・エム・エスは戦略コンサルの人しか出世できないんですね」「会社が変わった」と言われ、全然ハンドリングできなくなってしまいました。
もともと、複雑なものを複雑にマネージするということに興味があり、自分ではエス・エム・エスでそういったマネジメントがいくらかできていたと思っていたのですが、個々の事業については比較的シンプルに自分で構想し、その後の運営を人に任せる形で、ギリギリまで引っ張ってきていたんです。こうしたやり方が、この時に全部瓦解してしまった。組織はガタガタになっていき、そこから人材マネジメントの重要性を見直しました。