今は『マトリックス』の世界でどう生きるかの分岐点

『マトリックス』という米国映画がある。1999年公開のこの映画は、果てしなき暇が広がった時代を究極のディストピアとして描いている(多少のネタバレを含むので、これから観たいと思っている読者は、以下の一段落は飛ばしていただいても構わない)。

 キアヌ・リーブス演じる天才ハッカーは、平凡な日々に対して「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」という、漠然とした違和感を抱いていた。

 しかし、彼は自分が今生きている世界が、コンピューターによって作られた仮想現実だということを教えられ、現実世界で目覚めることを選択する。

 そこで彼は自身が培養槽のようなカプセルの中に閉じ込められ、身動きもできない状態であることに気づくが、それは、人間社会が崩壊し、人間の大部分はコンピューターの動力源として培養されていたからだった。

 これは、ディストピアと言いつつも、将来ありうる世界の比喩として決して大げさなものではない。

 ゲームの世界に入り込んで現実世界から離れ、有料課金を繰り返すというのは、汗水流して働いて得たお金をせっせとゲーム会社に貢いでいるようなもので、働いている時間以外は、仮想現実で過ごし、コンピューターの動力源となっているのと大差ない状況だ。

 そして、その働いている時間自体が減り、週休5日、あるいは週休7日というように、すべての時間が果てしなき暇の時間になるならば、それはもはや『マトリックス』の世界である。

 ましてや、これから人生100年の時代、さらに果てしなき暇が目の前に広がっていくことになる。この与えられた「時間」において、個々人の視点ではどう生きていくのか、そして企業はどのような付加価値を与えていくのか?