遅刻癖のある人、あなたの周囲にも何人かいるだろう。彼らは「バスが遅れて……」「電車を1本乗り過ごしちゃって……」といった言い訳に慣れている。しかし心の中では、さらに深い言い訳をしていることがある。いわば、遅刻の正当化。遅刻魔たちが、胸の内でどのような理屈で遅刻を正当化しているのか、赤裸々な本音を聞いてみた。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)
反省しない遅刻魔たちの
本当の本音を聞いてみたい
遅刻癖というものはなかなか直らない。かく言う筆者にも長いこと遅刻癖があり、遅刻のせいで留年したり、友人を逆上させたり交際相手を泣かせたりしたものである。
かつて遅刻魔であった経験から遅刻癖のある人をいまいち憎む気にはなれず、ともすれば擁護する立場に回ってしまうのだが、彼ら(とかつての私)に対していささか厳しい目を投げかけるなら、遅刻する人というのはどこかに他人への“甘え”があると思われる。
そして、他人への甘えがあるということは自分にも甘いということであり、自己正当化する余力も残されているわけで、対人関係において非でしかあり得ない“遅刻”をしたとしても、遅刻魔にとって自己弁護は余裕で可能なのである。
とはいえ、遅刻した人は多かれ少なかれ(その瞬間だけでも)罪悪感を芽生えさせている。加えて「言い訳」で自己弁護するのは、厚顔無恥であることは一応わかっている。
だから表向き言い訳を言わず、心の中では(こっちにはこっちの理由がある)と悪態をついていることがあるわけなのだが、しかしその自己弁護が聞けたとしたらどうか。「ちょっと昨日遅かったから眠くてー」といった浅い言い訳ではない、本気の“遅刻の自己弁護”とはどのようなものになるのか。おそらく第三者から見ると甚だ身勝手で興味深いものになるはずだ。