監督の留守(指導者不在というのも、現在では考えられないのだが)を狙い、真夏の盛りに「声が小さい。セミに負けているぞ。セミやれ」と、バッグネットにへばりつかせて「ミンミン」と叫ばせるというものだ。ばかばかしいこと極まりないのだが、同じクラスでちょっと気になっていた女子生徒が笑いをこらえながら下校しているのが見え、情けなくなった記憶がある。こうした後輩いびりは高校が違っても、どこにでもあった。

 ただ筆者の野球部では「決して手は出さない」「3年生は後輩いびりをしない」という伝統があり、1年間だけの我慢だったので、それほど苦痛ではなかった。一方で、近隣の野球部では中学時代の同級生が、上級生から集団暴行を受けて骨折していた。しかし何事もなかったようにその高校は大会に出場していたから、隠ぺいされたのは間違いない。そういう時代だった。もちろん、今なら高野連への報告を余儀なくされ、出場停止などの処分は免れまい。

やはり「監督は絶対」

 顧問による体罰(という名の傷害・暴行)を受け12年12月、キャプテンが自殺した大阪市立桜宮高校の事件後も、運動部顧問による部員への暴力は相次いで発覚している。やはり改善されているとはいえ、運動部において指導者は絶対という風潮は残っているのだろう。

 野球部時代の同級生の息子で、現役の高校球児に話を聞いたが、やはり野球部では今でも監督は絶対だという。強豪校である監督のインタビューを見ていると、独特のオーラを感じる。「1年・奴隷、2年・人間、3年・神」とされる野球部ムラでは、やはりほかの運動部に比べても、神の上に君臨する監督は絶対的存在のようだ。

 三十数年前は、ただでさえ絶対的存在である監督が、当たり前に暴力をふるうのを目にした。

 筆者の野球部監督が部員に手を出すことはなかったが、他校の監督は練習試合でミスした部員をベンチに呼んで殴ったり、ケツバット(注:バットで尻に向けてスイングする体罰。かなり痛い)は珍しくなかった。結果として選手が委縮し、さらにミスを繰り返すのを見て筆者の高校の野球部監督が、「ああいう指導をしているからダメなんだよ」とつぶやいていたのを覚えている。

 強豪校の監督が「厳しい指導者」であるのは間違いない。