本書は、18世紀の英国で誕生した風刺画を皮切りに、1990年代のメイジャー首相時代までの夥(おびただ)しい数の風刺画を再録し、英国政治史を追うユニークなもの。

 もともと「首相」という公職は英国にはなかった。首相という通称が定着するようになったのは、1715年に陸軍長官ならびに財務相に任命されたウォルポールが、そう呼ばれるようになってからだという。今の英首相官邸(ダウニングストリート10番)も、元を辿(たど)れば財務相の公邸だったのだ。

 この首相の誕生と、風刺画が生まれた時代が同じなのは単なる偶然ではないだろう。「権力者を動揺させることができるのは、笑いである」という本書の文章から分かる通り、政治風刺は、議会政治の民主化が進み、マスメディアが発達し、一般有権者が政治に関心を募らせるようになって、庶民の文化として根付いていった。政治家を嗤(わら)いの対象とするのも、健全な政治のために必要なのだ。

 ピット、ディズレイリ、グラッドストン、チャーチルやサッチャーなど、日本人にも馴染(なじ)みのある首相も登場すれば、ロイド=ジョージやマクドナルドなど、重要な役割を果たしつつも、海外ではあまり名前を知られていない人物たちも登場する。時代ごとに区切られた各章は、数々の風刺画と共に、簡潔な政治史にもなっており、目で楽しみながら、併せて知識も増えていくのが面白い。

 例えば、米英ソの間で戦後秩序が話し合われた1945年のポツダム会談では、直前の総選挙でチャーチルの保守党が敗北したため、閉会式には労働党のアトリー首相が出席したというエピソードなども、実際の風刺画でもって説明されている。政治は細部に宿る。小さくとも時代を象徴するそうしたエピソードが、それぞれの時代の雰囲気を伝えることになる。文章だけでは味わえない醍醐味だ。

 この本の作者は、80年代のサッチャー政権の下で閣僚を務め、自身も風刺の対象となったことのある元政治家である。彼はまた政治風刺画の一大コレクターとして知られているというが、政治家自身が風刺に関心を持つというこの事実に、英国ならではの民主主義文化の成熟を感じさせる。

 また、こうした研究も英国には風刺画を専門とする図書館の所蔵品があったからこそ可能だった。マスコミの揚げ足取りに閣僚が逐一反論するだけでなく、雑誌図書館が予算難から閉鎖に追い込まれているようなどこかの国では、政治風刺はついぞ根付くことがなさそうだ。民主主義の底力の違いを認識させられる一冊でもある。

(選・評/北海道大学大学院法学研究科教授 吉田 徹)