「カネのない人間は一生、他人の奴隷になるしかない」──気がつけば、忖度独裁国家と化していた日本。そこには、権力に食い込んで甘い汁を吸うカネの亡者があふれている。そんなヤツらに鉄槌を下す痛快無比の投資エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。そこで著者の永瀬隼介氏に同作の読みどころ、執筆秘話などを語って頂きました。話を聞くのは『特捜投資家』の編集者で、過去に『海賊とよばれた男』なども担当したベストセラー編集者・加藤晴之氏。第1回はお二人の出会いから、『特捜投資家』執筆の柱となった怪物のエピソードまでホンネ炸裂で語ります。

日本経済史上NO.1のワルは誰だ!?強欲なマネーモンスター誕生秘話

バブル期の出会い

加藤晴之(以下、加藤) 9月5日にダイヤモンド社から永瀬さんの新境地の作品『特捜投資家』が刊行されました。そこで、この本の出版に至るまでのエピソードや、作品に込めた思いなどを語っていただこうと思います。永瀬さんよろしくお願いします。

日本経済史上NO.1のワルは誰だ!?強欲なマネーモンスター誕生秘話永瀬隼介(ながせ・しゅんすけ) 1960年鹿児島県溝辺町(現霧島市)生まれ。週刊誌記者を経て1991年、フリージャーナリストとして独立。おもに犯罪ノンフィクションを手がける。2000年、『サイレント・ボーダー』(文春文庫)で小説家デビュー。他の小説作品に『閃光』(角川文庫、2010年に映画化)、『カミカゼ』(幻冬舎文庫)、『悔いてのち』(光文社文庫)、『凄腕』(文藝春秋)など。ノンフィクション作品としては『19歳 一家四人惨殺犯の告白』『疑惑の真相「昭和」8大事件を追う』(以上、角川文庫)などがある。『特捜投資家』は、ノンフィクション・クライムノベルの名手・永瀬氏の新境地。

永瀬隼介(以下、永瀬) こちらこそよろしくお願いします。お手柔らかに(笑)。

加藤 もとはといえばわれわれは、週刊誌で仕事をしていた頃からの知り合いですよね。永瀬さんは『週刊新潮』、僕は『週刊現代』でお互いにいろいろとヤバい事件を扱っていた(笑)。永瀬さんは、門田隆将さんとよくコンビを組んでいらっしゃいましたよね。いまはお二人とも独立して作家になられたわけですが。

永瀬 そうです。たしかその頃に、デスクの門田さんといっしょに加藤さんにお会いしています。

加藤 僕もデスクだった頃かな。1989年とか90年頃のまさにバブル全盛期。

永瀬 30年近く前ですね。実にいろいろなことがあった時代です。

加藤 とんでもないヤツらがいっぱいいました。いわゆるバブル紳士とか怪人と言われた人たちですね。

永瀬 僕は“北浜の天才相場師”と謳われた尾上縫や、“地上げの帝王”と称された最上恒産の早坂太吉なんかを取材しました。連載初回のコラムにも書きましたが、何とも強烈な人たちでした。

加藤 雑誌も元気だったし、日本がデタラメに元気な時代でした。僕は、暴力団問題に取り組むジャーナリストの溝口敦さんを担当していたんですけど、彼が早稲田の事務所の前で、暴力団関係者と思われる「刺客」に襲われたのもそのころのことです。暴力団が、「地上げ」などでこれまでのシノギとは桁違いのカネを稼ぐ。企業舎弟、フロント企業など、暴力団が、別組織で経済活動してたみたいな、今では考えられないような野蛮なことがしょっちゅう起きていた。

永瀬 週刊誌も週刊誌で、取材費は青天井でやりたい放題(笑)。

加藤 銀行がヤクザみたいなことをやって、ヤクザが銀行や証券みたいなことをやっていた面がありました。稲川会の石井進会長が東急電鉄の株を買い占めたり。表の経済が裏に潜り込み、裏の経済が表に出てくるみたいなことがいっぱいありましたね。

永瀬 今回の『特捜投資家』に登場する人物や事件の原型とも言えるエピソードにあふれてましたよ。

加藤 今はアベノミクスとか、超異次元金融緩和という名の無茶な経済政策のおかげで、まるでバブル時代のようなことが起きていますからね。スルガ銀行の「かぼちゃの馬車」問題なんて、まるでバブル時代にあった詐欺事件そのものですし。でも、昔と今とどこが違うかというと、メディアに元気がないこと。雑誌も、あの頃は企業や政府に忖度とかせずバンバン書いてましたね。

永瀬 おっしゃるとおりです。たとえば戦後最大の経済事件と称されるイトマン事件の報道では、巨額の不正融資を行った住友銀行からどれだけクレームがきても『週刊新潮』は気にしませんでした。話は聞くけどけっして謝らない。譲歩もしない。お話は伺ってお帰りいただいたら、すぐにまた書く(笑)。他にも、当時のNHK会長がやり手のシマゲジ(島桂次)さんで、彼に対する批判もガンガンやってたんです。するとNHKの方からご飯食べましょうって誘いがある。で、行って楽しく会食するんですがまた書く。すると向こうは次はデスクを呼んでくれと言うので担当のベテランデスクも一緒に行くんです。それでもまた批判記事を書いちゃう。そのうち向こうも、ダメだこりゃって(笑)。

加藤 シマゲジのネタはタレコミ(内部からの情報提供)があったんですか?

永瀬 詳しくは言えませんが、当時は週刊誌も元気だったんでタレコミはいっぱいありましたね。イトマン事件も内部からのタレコミが多かった。

加藤 イトマン事件については『週刊新潮』はイケイケでしたね。

永瀬 当時、住友銀行の「天皇」とよばれていたワンマン会長・磯田一郎氏の秘書から編集部に電話がくるんですよ。電話をかけている横には磯田氏がいたそうです。で、こちらが電話を取ると「何とか記事を止めてくださいっ!」て悲鳴を上げる。必死ですよね、すぐ横に会長がいるわけですから。まぁ、それでも止まらないんですけど(笑)。

加藤 あの頃はネットもないし週刊誌の役割がはっきりしてたんですよ。新聞だと潰されかねないような話は、ネタ元が週刊誌に持ち込んでいた。

永瀬 現在はそういうタレコミは主にネットになっているのかもしれません。

加藤 今でも『週刊文春』なんかにはタレコミがあるんでしょうけど。それにしてもあの頃の『週刊新潮』は無茶してましたよね(笑)。

永瀬 取材相手が拳銃持っているようなこともけっこうありました。とくに関西では。

加藤 『週刊新潮』に『週刊文春』『週刊ポスト』『週刊現代』など週刊誌はみんな、部数が80万部とか90万部とすごく売れてました。合併号だと100万部を超すような時代です。それだけ活気もあってイケイケでした。

永瀬 われわれはそんな時代に出会ったわけですね。