パワハラと指導の狭間
ここのところ、某大学のアメリカンフットボール部の問題や、体操協会の問題が世間の耳目を集めて、いわゆる「パワハラ」が話題になっている。
「パワハラ」は、パワーハラスメントが短縮されたいかにも日本的な言葉だが、組織内の権力などを笠に着て、上司的関係にある人が部下的な関係者に対して、精神あるいは肉体的な苦痛を強いることを指している。
現代の認識にあっては、明確に「悪いこと」であって、刑法などの法律に触れることもあれば、被害者からの損害賠償の対象にもなり得るし、加害者と認定されると地位や社会的な名誉を失いかねない重大事だ。
倫理的理解として、加害者はもちろん「悪い」のだが、一方でパワハラを行っていない人物が、パワハラを認定されてしまうのもよくない。判定基準が明確ではないだけに扱いが難しいが、利害関係から見ると、加害者になり得る側がその可能性を避けることによって、パワハラ的事態が抑止され得ると考えるのが妥当だろう。
一方、スポーツ分野で顕著であるし、ビジネスの世界でも部下に対して耐えられる範囲内で負荷を掛けるような指導を行うことが、選手や部下のためであるとの理解を持つ人が少なくない。