>>(上)より続く

「敬語なら間違いはない」
句点が伝えるお父さんの姿

 Bさん(39歳男性)もAさんとやや似ている理由で敬語を使い続けている。14歳の娘がいる3人家族で、家族仲は良いが、メール時代からほぼ誰ともやり取りをしてこなかった。BさんにとってのメールやLINEは事務的な連絡をするためのツールに過ぎず、雑談が挟まれることはない。基本、来た連絡に対して返信をするのみで、その返信も「わかりました。」「了解しました。」の2パターンで全てが賄われているという、典型的なスタイル。

「自分はSNSもやってきていないので、ネットでの人との距離感がいまいちよくわからない。LINEも家族から催促されて始めた。連絡手段としては非常に便利だが、距離感がつかめていないのは相変わらず」(Bさん)

 そして、距離感がわからないからこそ敬語が選択されるそうである。

「積極的に家族LINEをしたいわけではないが、相手に失礼にはなりたくないから敬語を使う。

 LINEとはいえ文の最後に『。』がついていないとものすごく失礼な感じがする。相手にされる分には『そういうものなのだ』と理解できるのでなんとも思わないけれども。自分がやるとなると勝手が違う」

 文末の句点はLINEにおいて野暮(やぼ)ったいと捉えられる向きもあるが、ビジネスマナーがたたき込まれて血肉となっている父の、“働くお父さん”としての姿を垣間見せる趣き深い表れでもあったのだ。

 家族LINEを始めた当初、Bさんはビジネスマナーにのっとって文頭に「お疲れ様です。」、文末に「何卒よろしくお願いいたします。」を欠かさず付けていた。それはさすがにどうかと家族にたしなめられ今のスタイルに落ち着いているそうである。