千葉ロッテマリーンズのレジェンド、福浦和也内野手が22日の埼玉西武ライオンズ戦の8回裏に右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000本安打を達成した。42歳9ヵ月での大台到達が2番目の年長記録ならば、ドラフト会議の最終指名選手による達成も、一軍初出場が4年目の選手による達成もともにプロ野球の歴史上で初めての快挙。名門・習志野高校からピッチャーとして入団して四半世紀。生まれ育った千葉を心から愛し、老若男女の垣根を超えて愛され続ける「幕張の安打製造機」が、本拠地ZOZOマリンスタジアムで万感の思いに浸るまでの波瀾万丈に富んだ野球人生を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

ドラフト7位、投手として入団
コーチの助言で「バッター」へ転向

福浦和也福浦和也内野手は元々投手として千葉ロッテに入団した 写真:アフロスポーツ

 4位で選択を終了したオリックスに続いて、巨人など7球団が5位まで、広島など3球団も6位までを指名して席を立った。1993年11月20日午後5時から、東京・港区の新高輪プリンスホテルで開催されたプロ野球のドラフト会議。ロッテだけが7位の選手を指名した。

「福浦和也 投手 17歳 習志野高校」

 この年に指名された総勢64人の選手の中で最後に名前を呼ばれた福浦はその時、市立習志野高校のグラウンドで黙々と練習していた。

「もう日が暮れて真っ暗になっていましたけど、とにかく嬉しかった。スカウトの方は何回か学校に来てくれましたけど、指名されるという自信はなかったので」

 千葉県習志野市で生まれ育ち、谷沢健一(中日)や掛布雅之(阪神)らを輩出した名門校でエース兼四番を務めた少年は、指名されなければ社会人チーム入りを考えていた。吉報を受けて当時の支配下選手では最も大きな「70番」を背負い、1992年から千葉県に本拠地を移していたロッテで憧れのプロ選手になった。

 担当スカウトからは「左腕は貴重だ。すぐにでは無理でも、3、4年で一軍に上がれるように」とエールを送られた。しかし、1994年のキャンプが始まってすぐに肩を痛めてしまう。基礎練習に明け暮れていた開幕直後のこと。午前中の練習を終えた直後に、山本功児・二軍打撃コーチに呼び出された。