2016年4月23日には、バッター転向への道筋をつけてくれた恩師、山本さんが64歳の若さで死去する訃報が届いた。シーズンの合間を縫って神奈川・横浜市内で営まれた通夜に参列した福浦は、山本さんが見守る天国へ向けて恩返しの思いを新たにしたと後に明かしている。

「もしピッチャーのままだったら、とっくに現役をやめていたはずですから。そう考えると、山本さんには本当に感謝しかないですよね。二軍でもそうでしたし、一軍に上がってからもとにかくバットを振らされました。打てなくなると試合後に『ちょっと来い』とブルペンに連れていかれて、ひたすら振りました。よく怒られもしましたし、いろいろな思い出があるからこそ、僕が現役でプレーしている間は最後まで見届けてほしかったという思いもあります」

 和田一浩(中日)の42歳11ヵ月に次ぐ、史上2位の年長記録となる42歳9ヵ月での2000本到達を決めた右越え二塁打は、三打席無安打で迎えた八回裏に飛び出した。延長戦に入らなければおそらく最後の打席となり、一夜明けた23日からロッテは仙台、大阪と遠征に出る。

 何がなんでも千葉で打ちたい。祈りにも通じる熱き思いが、二塁へ滑り込んだ直後に見せた珍しいガッツポーズと、ライトスタンドへ向かって両手を振りあげたしぐさからも伝わってきた。今もプロ野球記録として残る1998年の18連敗、そして4連勝で阪神を退けた2005年の日本一を知る唯一の現役選手となる福浦は、こんな思いを明かしたこともあった。

「僕が初めて一軍に上がった頃のスタンドは、閑古鳥が鳴いていましたからね。盛り上がりを感じるようになったのは、あの18連敗を喫したあたりですね。球場から帰る途中のいたるところで、ファンから声援を送られたことを今でも覚えています。球場を訪れるファンの数がどんどん増えたのは、球団に関わる全員が千葉を盛り上げようと頑張ったから。ただ、僕は日本シリーズ優勝を2回経験していますけど、両方とも胴上げはビジターでした。やっぱりマリンで胴上げがしたいと、誰もが望んでいるんじゃないでしょうか」

 ドラフト会議での最終指名選手による達成も、一軍初出場が4年目の選手による達成も、ともにプロ野球史上で初めて。快挙尽くしで名球会入りを果たした苦労人を光り輝かせ、老若男女を問わずに祝福させたのは、生まれ育った千葉へ深い愛情を注ぎ続けた福浦に魅せられたからだ。そして、ひと時の感慨に浸った男の視線は本拠地での胴上げを夢見て、26年目となる来シーズンへとすでに向けられている。