なぜ、日本は勝ち目のない対米戦争を開始したのか。通説は、経済学者が無謀と主張するも、それを軍が握り潰(つぶ)して開戦に踏み切ったというものだ。本書は、新たに発見された資料を元(もと)に、気鋭の経済史家が通説を覆す日米開戦史である。

 陸軍の軍人で満州の経済建設に携わった秋丸次朗中佐は、帰国後、経済謀略機関の創設を任される。いわゆる秋丸機関で、有沢広巳や武村忠雄、中山伊知郎ら当時の一流の経済学者を集め、日米英独ソなどの戦争遂行能力を検討した。

 著者は、焼却されたと長く考えられてきた秋丸機関の重要報告書を発見する。そこでは、対米戦に踏み切れば、経済力の大きな格差から日本は高い確率で敗北することが示されていた。同時に、報告書の内容は当時の多くの専門家にとって常識的なもので、軍関係者も公の場で語っていたことが明らかになる。経済学者の主張が闇に葬られていたわけではなかった。

 それではなぜ対米戦を決定したのか。著者が用意したのは二つの理論だ。人間は損失回避のためには大きなリスクを冒すという行動経済学のプロスペクト理論。もう一つは、集団になると極端な意思決定に陥りやすいという社会心理学の集団極化論。報告書は、対米戦の勝算が低いことを強調したはずだった。しかし、米国による石油の禁輸措置で、2~3年後には日本は確実にジリ貧となり、戦わずして屈服を余儀なくされる。

 一方で、確率は低いが、対ソ戦や対英戦でドイツが勝利すれば、日米戦で有利な講和となる可能性はゼロではない。報告書の意図とは異なるメッセージが伝わった。

 どのようなレトリックなら、戦争を回避できたか。3年後に米国と勝負が可能な国力を保持できるプランを示せば回避できたと著者は論じる。ドイツの戦力を的確に分析していたのだから、その敗戦を待てば、別の展開もあり得た。

 実際、その後の世界は米ソ冷戦に向かった。また、独伊の再三の要請にもかかわらず、スペインは中立を貫いた。ただ、日本は戦争が回避されても、軍国体制が継続し、戦後の民主制と高成長がすぐには訪れなかった可能性はある。

 翻って現在、主流派の経済学者は大幅な増税抜きには公的債務の持続性を確保できないと論じる。その主張に評者も同意するが、政治的には容易ではないと判断されたのか、逆に大規模な財政金融政策で成長を高め、一気呵成に解決を目指すアベノミクスが現れた。

 専門家には、エビデンスで警鐘を鳴らすだけでなく、一か八かの政策を回避するためのレトリックが必要なことを痛切に感じる。

(選・評/BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎)