第2章

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 さて、と殿塚は持っていた紹興酒のグラスをテーブルに置いた。

「私はあなたの『中央集権の崩壊』と『日本、遷都の歴史』を読ませていただきました。ハーバードで書いた論文でしたね。もちろん、日本語に訳されたものですがね。1年アメリカにいたが、英語はどうも苦手でね」

 殿塚はそう言ったが、ワシントン・ポストの愛読者だという話を聞いたことがある。

「非常に斬新で興味深いものでした。日本の官僚に、このような考え方の出来る者がいるのかと感心しました。あれはアメリカでの研究生活の一時の高揚のなせる業ですか、それとも、今も心に秘めている本心ですか」

 森嶋は即答出来なかった。おそらくその両方だ。外国で日本を眺めると、国内では見えなかったものが見えてくる。

『中央集権の崩壊』は巨大化した政府と都市の弊害を述べている。企業を例に上げて、グローバル社会で生き残り、発展する必須条件と、さらに世界と競争し成果を上げるには、ある程度の規模が必要だとも主張している。つまり、日本の東京一極集中の弊害と地方分権の必要性を論じている。

『日本、遷都の歴史』は、国家の顔である首都の意味を森嶋なりに論じたものだ。交通と通信が発達した現在において、首都の意味は昔とは大きく違ってくると述べている。そして、将来求められる新しい首都機能にも言及している。

 長年考えていたことには違いないが、やはり日本にいたら書けなかったものだ。時間的な制約もあったが、日本が進んでいる道とは相反する道であることが大きい。両論文とも小さな政府を目指し、地方独自の発展を促し、新しい日本を造り上げようという考えが中心になっている。日本を一つの国とするより、特色を持った地方の集合体として発展させるべきだと述べたものだ。アメリカ型の国家に近い。たしかに、官僚らしくない論文だ。

「一つの日本のあり方として書いたものです。あれがすべてではありません。いろんな考えがあって当然だと思います」

 官僚らしい答えだと思った。やんわりとではあるが、自分の意思を否定し、逃げ道を作るものだ。