近畿大学名誉学長、塩崎均氏はもともと食道がんの専門医だ。患者の声帯にダメージを与えない新しい手術方法を開発し、世界的な評価も受けている。2005年、そんながんの専門医に深刻な腫瘍が見つかった。ステージ4の胃がんだ。医師としてこの現実とどう向き合い、その後の人生を歩んできたのか。(聞き手/週刊ダイヤモンド編集長 深澤 献)
父は郵便局長で生き物好き
自身は切手収集の趣味を続ける
──塩崎さんは和歌山県新宮市のご出身ですね。私も地方出身者ですが、地方にいると、将来なりたい職業に関して、周りの環境が随分と左右するように思います。
塩崎 それは大きいですよ。
──東京にいると様々なカタカナ系の新しい職業の人がいたり、外資系の戦略コンサルタントだとか稼いでいる人種も多様です。ところが地方の子どもにとっては、自分や友達の親など周りの大人を見ても、成功者のイメージは限られますからね。せいぜい医者か行政職員か地元企業の重役か……。
塩崎 郵便局長をしていたうちの親父も、いつも一緒にいたのは警察署長と銀行の支店長。すぐ上の兄貴は医者になりましたが、一番上の兄貴は農学部を出て大阪府庁に勤めていました。
──そのころはどんな職業に就こうと夢を見ていましたか?
塩崎 官僚です。大学は東大の法学部に進学しようと思っていました。親父がそれを望んでいましたから。結局は大阪大学医学部を出て医者になりましたけれど、反対はされなかったですね。
──企業経営者にお会いすると、子どものころの経験がその後の生き方・考え方にも影響を与えているのを感じますが、塩崎さんの子どものころの思い出というと、どんなことが思い浮かびますか?