当時、「この事件が明らかになったのは、在日中国人ジャーナリストの莫邦富氏の調査がきっかけ」と報じた日本のメディアもあるほど、私はこの事件の解決に大きく関わっていた。

外国人研修生が被害に遭った
「中国人女工哀史」事件

 10年後の08年にも、私の報道で、山梨県の外国人研修生問題が大事件となった。

 当時の報道をもとに、事件の概要を再現してみる。

 08年8月22日の早朝、山梨県昭和町の一角では鋭い悲鳴が響き渡った。2階建ての建物の中で10人ほどの男女がもみあいになっており、男性たちが数人の中国人女性を無理やり引きずり出そうとしていた。

 この女性労働者たちは湖北省黄石市の出身で、2005年12月に黄石市にある会社のの派遣で、婦人服や子供服の縫製という名目で来日した。しかし実際には、昭和町にあるクリーニング会社に派遣された。

 彼女たちは毎日10数時間もの労働を強いられ、給料は月わずか5万円だった。残業代も形ばかり。土日の休みがなく、日本人従業員が休暇をとる正月休みすらも与えられずに働かされていた。

 07年9月から08年3月までの半年間で、休みはたったの3日。過度の疲労から、ある女性は深夜に自転車で帰宅する途中に転んで怪我をした。しかし、会社側は病院に「スーパーに買い物に行ったときけがした」とうそを言い、労災である事実を隠ぺいした。

 過酷な労働環境と、あまりに低い賃金に耐えかねた彼女たちは、会社側に労働環境と待遇の改善を求めたところ、会社側は彼女たちを強制的に帰国させようという強硬手段に出たのだ。

 彼女たちが必死に抵抗したことで、その日のうちに強制帰国させるという会社側のもくろみは果たせなかったが、宿舎の入口に見張りの男たちがいるのを見て、彼女たちは宿舎から逃げることに決めた。ある女性は2階の窓から飛び降り、足を骨折してしまった。他の女性たちはブドウ畑に逃げ込んで野宿した。翌日、彼女たちに同情した近所の住民が、東京の全統一労働組合まで車で送り届けた。