強烈なリーダーシップを発揮する経営者であり、「消臭ポット」や「消臭力」、「脱臭炭」、「米唐番」といったヒット商品を続々投入したチーフ・イノベーターでもあるエステーの鈴木喬代表執行役会長兼取締役会議長と、『ファイナンス思考 日本を蝕む病と、再生の戦略論』著者の朝倉祐介さんによる対談の後編です。鈴木流のホラの吹き方から商品開発の裏側、後継者の育成まで、話題が多岐にわたって大いに盛り上がりました。(構成:大西洋平、撮影:野中麻実子)
自分が疑問をもったらうまくいかない
朝倉祐介さん(以下、朝倉) エステーより規模は小さいですが、私がミクシィの経営を建て直せた要因としてよく話すのが、「理・心・運」の3つについてです。成功に貢献した比率でいえば、1:4:5ぐらいで、つまり圧倒的に運のおかげだと思っているんです。こうすれば業績が好転するという理屈(理)はもちろんあるわけですが、それを実行するには組織を巻き込み絶対にやり遂げるという強い気持ち(心)が不可欠です。ここまでやったうえで、それでも成否は運に大きく左右されるのではないかと考えています。逆に、理と心をやりきらないと、運も引き寄せられないでしょうし。鈴木会長の著書『社長は少しバカがいい。』を拝読していても、つくづくそのように感じますね。
エステー取締役会議長兼代表執行役会長
1935年生まれ。59年一橋大学商学部卒業後、日本生命入社。85年エステー出向。98年エステー社長就任。「消臭ポット」「消臭力」「脱臭炭」などヒットを連発。2005年創業以来最高の純利益18億円を達成。07年社長を退任し会長に就任するも、09年に社長復帰。2013年より現任。
鈴木喬さん(以下、鈴木) 誠にその通りですよ。ヘリクツで人は動きませんし、やり抜いているうちに運も巡ってきますからね。追いつめられて死に物狂いになっていれば、勘も研ぎ澄まされてきます。僕が朝倉さんの著書『ファイナンス思考』を読んでいいなと思ったのも、いろいろなところで勝負してきたことが書かれていて「これは本物だ」と感銘を受けたからです。
朝倉 ご著書にも書いてあるエピソードで私が特に印象に残っているのは、新商品「消臭ポット」の一件です。鈴木会長が掲げた「1年で1000万個売る」という目標に誰もが反対した際に、「今日の朝方、枕元に女神が出てきて、『消臭ポット』でエステーは救われるとのお告げを受けた」とおっしゃって押し切ったとか。お告げがあったというのはホラだったそうですが、誰もが無謀だと思っていた年間1000万個の販売を見事に達成しました。根拠も何もないけれど、とにかく言い切ることで次第に真実になってくるというものですね。
鈴木 自分自身が疑問に思っていたら、うまくいくものもいかなくなる。出たとこ勝負で何が何でもやり遂げないと。誰も未来のことなんて教えてくれないでしょう。だから、外すこともいっぱいありましたよ。でも、そんなときは、社内に対して「僕に言われたぐらいで騙されているようでは、世間に出たらたまったものじゃないよ」と開き直るしかありませんな。とにかく、今はまだいいですが、1998年頃なんて、それぐらいの大勝負に打って出なければならないほど深刻な状況でした。
朝倉 それこそ、日本中が深刻でしたからね。そういった胆力は、日本生命での法人営業時代などに養ってきたものなのでしょうか?
鈴木 ひとつは敗戦後の経験ですね。子どもの頃に焼け出されて地べたで闇市を営み、どんなことをやってでも生き延びることの大事さを痛感しましたからね。自分でどうにかしなければ、誰も助けてはくれません。もうひとつはおっしゃる通り、企業を相手に生命保険を売った経験です。みずから志願して法人営業部を立ち上げたものの、3年ぐらいはさっぱり売れませんでした。現実を突きつけられて自信をなくすわけですが、自分を鍛えるにはいい環境でしたね。個人相手ならお客さんが別のお客さんを紹介してくれることも多いですが、企業相手だと基本的に紹介はなく売ったら終わり。これは大変です。日本生命を辞めた後も、何年か夢に見ましたよ。それに、人を見切ることができるようにもなります。コイツにこの仕事を任せて大丈夫か、コイツは僕を騙そうとしているか、付き合ってよさそうなヤツかといったことがね。
「見切り千両」で米国子会社の処分に踏み切る
シニフィアン株式会社共同代表
競馬騎手養成学校、競走馬の育成業務を経て東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務。東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィへの売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。2017年、シニフィアン株式会社を設立、現任。著書に、新時代のしなやかな経営哲学を説いた『論語と算盤と私』(ダイヤモンド社)など。
朝倉 ご著書にも「社長は人物鑑定業だ」とお書きになっていましたが、エステーの米国子会社だったエクセル社も、そうやって見切ったわけですか?
鈴木 当時15%シェアを持っていた米国第2位の防虫剤販売会社・エクセル社をエステーが買収したのは1989年で、まさにバブル絶頂のイケイケドンドンの頃でした。買収前の米国人社長を留任させ、商社マンの日本人をスカウトして会長に据えたところ、「ライバルが安売りを仕掛けて市場が混乱しているが、経営は順調です」と報告してきました。だけど、CFOを務めていた僕の目にはとてもそうは見えませんでした。月次決算を時系列で追っていくと、売上が下がって在庫が増えているのに、それでも利益が出ていたからです。典型的な粉飾のパターンだから、僕は現地調査を行うべきだと社内で訴えました。ところが、なかなか調査をさせてもらえず、「オマエは渡航禁止だ」とまで言われる始末。だから、「自腹で行くなら文句はありませんね」と反対を押し切って渡米したわけです。もちろん、現地でエクセル社に経費として請求しましたけど(笑)。
朝倉 案の定、販売代理店に話を聞いて回ったら、報告書のウソが浮き彫りになったわけですよね。
鈴木 ええ。売れない商品を抱えて首が回らなくなり、安売りを仕掛けてさらに経営を悪化させていたのです。僕は激怒してその場で社長と会長を解雇し、エステーから出向していた社員も本社に戻しました。本当は、僕にそんな権限はありませんでしたけど。それで、誰もいなくなってしまったから、約100名の米国人従業員を相手に僕1人が社長としてエクセル社を建て直すことになりました。そして、リストラを進めていったのですが、会社というのはリストラだけで立ち直るものじゃありません。このままでは倒産を免れないし、そうなったらエステー本体もダメージを受けると思ったので、エクセル社を売却することにしました。ただし本社の意向に反する行為ですから、絶対に売却損を出せません。だから、1年以上も交渉を続けて、最終的に売却が成立したのは1994年のことでした。お陰で、歯痛が悪化してほとんどの歯から神経を引っこ抜かれるほどのストレスをため込みました。
3ヵ月以内に消えてなくなるものしか商品化しない
朝倉 まさに、「見切り千両」だったわけですね。一方で、コピーや商品名を考えたりするマーケティングの分野については、どういったところでセンスを培われたのですか?
鈴木 毎晩、酒を飲みながら、こういったものがあったらいいな、こんなことをやりたい、という話をして、商品のコンセプトを考えているだけですよ。「米唐番」にしても、まずはデタラメなCMソングを作ったところから始まりました。
朝倉 服の防虫があるのだから、次は米の防虫だという発想で開発した商品ですね。
鈴木 宣伝、広報、マーケティング、研究開発、製造を50〜60人集めて、自分で作ったCMソングを「米がうまいよ、米唐番♪ 虫が来ないよ、米唐番♪ ドンドンヒャラヒャラ、ドンヒャララ〜♪」と口ずさみましてね。もちろん、みんな口をポカンと開けたままです。そこで、「いいか、これが新商品のコンセプトだ。防虫できるし米もうまくなるように、唐辛子とアルコールを天然由来のゼリーに混ぜ込む。そして、使い終わったら唐辛子の形になる。そういうものを作れ。発売は1年後の春や!」とぶち上げたわけです。デタラメでもいいから、とにかく自分で商品の名前やCMソングを作ってみる。そうすると、「いやいや、こっちのほうがいいですよ」とか、比較対象となる意見やアイディアも出てきます。そんな調子で僕の中から無数のアイディアが飛び出してきたから、周囲は「やめてくれ!」と悲鳴を上げていましたけどね。
朝倉 商品を売るのではなく、感動を売ると常々おっしゃっている部分ですね。「脱臭炭」にしても、冷蔵庫を開ける度に中身がどんどん減っていてその効果が見てわかるうえ、最後は備長炭みたいにカチカチになって、「そろそろ買い替えなきゃ!」と思ってもらえるという驚きがあるからこそ、ヒットしたわけですよね。
鈴木 その通りです。エステーでは、3ヵ月以内に消えてなくなる商品というのが発想の原点で、耐久消費財は作りません。鉄瓶なんて作ったら3000年はもつでしょう。だから、その商品を使い切った買い替え時が目で見てわかることが重要です。衣類の防虫剤の「ムシューダ」も「おわり」と表示されますし、湿気取りの「ドライペット」も水が貯まりきったら、買い替える頃合いだとわかります。もう1つ、お上の統制には絶対に服さないので、法律の縛りがあって監督官庁が存在している規制業種はやりません。役人にゴチャゴチャ言われそうな分野には一切手を出さないのです。独立自尊でやらないとね。その意味、今も昔も多くの経営者はおかしいと思いますね。
朝倉 サラリーマン社長とは感覚が違うということですね。鈴木会長は実地でビジネスを学ばれてきましたが、後継者を育成するポイントはどのようなところにありますか?
鈴木 経営者なんて育てられないですよ。10年ぐらい社長を続けていたら体を壊してぶっ倒れたので、誰かに押しつけたほうがいいなと思って、一番若い役員を後継に指名したことがあります。そういう場合の結末は、3つ。地位が人を築くか、あるいは舞い上がってしまうか、逆に舞い下がってしまうかです。彼の場合はすっかり舞い上がっちゃって。リーマンショックの影響もあり僕が復帰しましたが、一度辞めた人間というのもエンジンが冷え切っているから再登板してみたら難しいのはよくわかった。その後も後継を探していたのですが、「自分にやらせろ!」と志願してくるのはどうやら僕だけで、なり手がいないものですね。そもそも社長は危険業務で、やることは大体うまくいきませんから。ヘッドハンティングもやってみたがダメで、結局は同族から登用することにしました。
おだてに乗って舞い上がらないことが社長の条件
朝倉 鈴木会長のご経験を踏まえて、社長に最も求められる条件は何でしょうか?
鈴木 おだてに乗って舞い上がらないことですね。自分が偉いと思い始めたらおしまいです。その点、僕はあまりお世辞を言われたことがありませんからね。役員たちに「おい、たまにはお世辞を言えよ! なんで気に入らないことばかり言うのか? 俺は腹が立っているんだ」と教育するから、みんなひねくれて余計にお世辞を言いません。
もう1つ、社内の和を気にしすぎて遠慮したり、合議制を尊重したりして、厳しくすべきところで手を緩めてしまうのもよくないですね。僕なんてパワハラの最先端で、「簀巻きにして神田川に投げてやるぞ!」とか平気で言っちゃいますけど。それでもダメなら、「逆さに吊してカラスに突かせるぞ!」とまで言い放てば、さすがに文句も出なくなります(笑)。
朝倉 確かに民主主義とか合議制は、言葉の響きはいいですが、裏返せば誰も責任を取らないということにもなりかねません。要は自分が嫌われたくないから、合議で話を進めようとするわけですね。
鈴木 イヤなことは、すべて社長が引き受けなければなりません。ただ、僕の権力基盤が強くなりすぎると、社内の抵抗勢力が少なくなって、何をやろうとしても賛成の声しか出てこなくなります。そこで、2004年から社外取締役を迎え入れ、役員候補者をはかる指名委員会、役員報酬をチェックする報酬委員会、監査委員会を設置しました。いずれの委員会においても、社外取締役が過半数を占めています。最も暴走するのは僕で、その僕をふん縛るのが社外取締役です。そうやってバランスを図ったうえで、好き放題をやっているわけですよ。ゴーンさんの場合は、ブレーキのきく仕組みがなかったのでしょうかね。もしも僕を日産の社長にしてくれたら、いろいろやりたいことがあるけどな!
朝倉 やはり経営が本当にお好きなんですね。本日はご著書に書かれているお話を直接うかがえてとても勉強になりました。貴重なお時間を頂戴し、本当にありがとうございます。
鈴木 こちらこそ、朝倉さんのように優秀な人とお話しできて光栄でしたよ。
編集担当 エステーでヘッドハンティングするのも一考では?
鈴木 いやいや。優秀すぎて恐ろしいので、背後から袈裟懸けに斬るか(笑)。
朝倉 高田馬場(エステー本社所在地)には近寄らないようにします(笑)。