ちまたでよく目にする「日本はすごい」という論調。もちろん、自国を愛することに何ら問題はないが、不都合な事実には目をつぶり、ひたすら自国の素晴らしさに酔うことは多くの危険性をはらんでいる。日本しか知らないことは、本当は日本をまったく知らないことでもあるのだ。
太平洋戦争に突入した前後に、「日本は神の国」「日本スゴイ論」が洪水のようにプロパガンダとして流された。私たちが、そうした空気に支配されず、冷静に「ムラの外」を知るにはどうすればいいのだろうか?
40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。

日本が大きく動いた3つの時代

山本七平氏の『「空気」の研究』では、日本社会全体が空気で大きく動いた時代を3つ挙げています。

[1]明治維新後(文明開化の絶対化)
[2]太平洋戦争時(戦争遂行の絶対化)
[3]敗戦後の経済復興期(戦争放棄・経済成長の絶対化)

 3つの大転換点を見ると、一つの推測ができます。真実が「内にあるか、外にあるか」どちらに設定されるかで、悲劇か飛躍かの分岐点が生まれることです。

 明治維新後には、文明開化(西欧文明の導入)が非常に強い絶対善となりました。福澤諭吉やその他、海外に出て西洋の実際を冷静に分析した先達の著作や意見も、広く日本社会に受け入れられました。

 その結果、日本人のアイデンティティ(自我)を保持したまま、西洋のプラスの側面を全面的に吸収することで日本社会は近代化に成功したのです。

 敗戦後の経済成長も同じく、日本社会、日本人が「外に真実がある」と考えながら空気に従っていたことが勝因だと考えられるのです。

 一方で、太平洋戦争に突入した前後には、「日本は神の国」「日本スゴイ論」が洪水のようにプロパガンダとして流されました。氾濫させた情報の基本的な視点は「日本は世界一」「日本は他国に優越している」(*1)です。

 真実が内にあるとして空気が醸成されると、その空気を強化する方向でしか情報が流せなくなります。閉じられたムラと世界の現実が加速度的に乖離を深めていき、国家の完全な破綻という悲惨な敗戦を1945年に迎えることになりました。

日本しか知らないことは、日本をまったく知らないことである

 ビル・エモットは『日はまた沈む』『日はまた昇る』など、日本でもベストセラーとなった著作を持つイギリスの日本研究家です。また、ピーター・タスカも、著名なマーケットアナリストにして、日本研究の書籍をいくつも出している人物です。

 二人が対談した『日本の選択』という書籍には、真実が自分の内側にだけあると信じると、自分と現実の両方を見失っていく構造が、示唆的な形で指摘されています。

 日本しか知らないということは、日本をまったく知らないということである。おおかたのジャパン・ウォッチャーの問題点は、日本を理解することに時間をかけすぎて、ほかの国をないがしろにするという点にある。その結果、より深い時間的空間的な理解によってあきらかになるはずの世界的な共通性を欠落させ、日本の特殊性と例外性ばかりを強調することになる(*2)。

 日本以外を知らないと、比較検討で日本を相対化できず、結果としてさまざまな出来事や事実を、客観性を持って正しく把握することができないのです。

 日本という言葉を他の言葉に変えてみると、興味深い気付きを与えてくれます。

 「自社しか知らないということは、自社をまったく知らないことである」
 「社内しか知らないということは、社内をまったく知らないことである」
 「国内市場しか知らないということは、国内市場をまったく知らないことである」

 比較検討しなければ、日本の生産性のレベルも、貧富のレベルも当然わかりません。世界各国と比較する、海外を知りその共通点や相違点を知ろうとすることが、結果として日本を相対的に知ることになり、正確に日本を理解することになるのです。

 幕末から明治維新にかけての日本、そして戦後経済復興期の日本の共通点。二つの時代、日本は外に目を向けて自己を正しく把握することができたのです。

(注)
*1 早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社) P.22、47
*2 ビル・エモット/ピーター・タスカ『日本の選択』(講談社インターナショナル)P.235